2021/12/29

第4部 牙の祭り     20

  なんとなく衣服が汗でベチャベチャな感触で気持ちが良いと言えなかったが、時間がないので着替えに帰宅出来ない。テオは”ヴェルデ・シエロ”達がいつも平然としていられるのが羨ましい。アスルは暑いと言わないが暑い筈で、彼等だって汗をかくのだ。平然としていられる訓練も受けるのだろうか。ケツァル少佐は汗すらかかないかの様に泰然として、グラダ・シティ警察東署の前へ車を運んだ。
 驚いたことに、ロホとアスルが軍服で大統領警護隊のジープで来ていた。訓練だから、それなりの装備だ。ジープは本部から持ち出したとしか思えない。正規の任務でもないのに、と思い、テオは思い直した。文化保護担当部が指揮官の命令ですることは全部正規任務なのだ。
 ケツァル少佐は車から降りてジープの助手席のロホのところへ行った。”心話”で情報を与え、無言で意見交換を行い、5分で戻って来た。

「私達は一旦帰りましょう。警察での捜査はアスルが行います。」
「ロホは?」
「車の番。」

 つまり上官なのでロホは部下の仕事を監視するのだ。テオは納得して、ベンツを西サン・ペドロ通りへ向けた。
 少佐をアパートで下ろし、彼は自分の車に乗って帰宅した。彼女から連絡がある迄休憩だ。シャワーを浴び、着替えてリビングのソファに横になって遺伝子マップを眺めた。彼の才能は遺伝子マップの解析能力だ。普通の遺伝子学者達が数日かかる分析を半日あればやってしまう。驚異的なスピードで2つのマップを対比しながら見ていった。
 ケツァル少佐から電話がかかって来た時、彼は既に2つのサンプルの人間が別人であることを判定していた。

ーーお休みでしたか?
「ノ、遺伝子マップを解析していた。ビト・バスコを襲ったピューマと、彼を刺し殺した人間は別人だ。殺人犯は”ティエラ”だ。」
ーー間違いありませんか?
「ない。」
ーーでは、これからランチしながら報告会としましょう。来られますか?
「スィ。」
ーーでは、カフェ・デ・オラスに行くので、私が貴方を拾います。

 文化・教育省が入っている雑居ビル1階のカフェだ。日曜日以外は営業している、文化・教育省の職員食堂扱いされているカフェだが、実際は普通の民間の店だ。ここのスタッフは客が何者であろうと気にしない。文教大臣が秘書と政策に関する相談をしても無視しているし、田舎から陳情に出て来た先住民がテーブルで奇妙な儀式みたいな行動を取っても見ぬふりをする。当然文化保護担当部が任務の話をしても聞いていない・・・ふりをしている。
 この店が特別なのではない。セルバ人は他人のプライバシーに踏み込まないのだ。逆に言うと、助けて欲しい時ははっきり助けを求めないと無視される。
 テオは少佐のベンツに同乗して文化・教育省の駐車場へ行った。大統領警護隊のジープが駐車していた。他の車も数台駐車していたが、見慣れない車ばかりだったので、職員ではなく無関係な人が休日の空いている場所に車を停めただけだ。
 ロホとアスルは先にテーブルを確保していた。店内は予想以上に混雑していた。雨季明けで田舎から都会へ出て来た人が多いのだろう。
 料理を注文してから、ロホがアスルに「報告」と命じた。隊員だけなら”心話”だけで済むが、テオがいるので言葉が必要だ。アスルは特に嫌がる様子もなく、警察でわかったことを報告した。
 ぺぺ・ミレレスは東署管内の緑地帯で死体になって発見された。道路横を細長く伸びている植え込みや芝生のベルト状公園だ。そこで彼は昨日の午後4時頃に死んで転がっていた。傷の状態から判断して、警察では交通事故で車に轢き逃げされたと結論づけた。所持品はぺぺ自身の運転免許証、携帯電話と財布だけだった。何者かに奪われたビダル・バスコのI Dカード、財布、拳銃は所持していなかった。ビト・バスコの携帯電話も持っていなかった。

「ただ、彼の死体があることを通報する電話が警察にかかってきたのですが、誰がかけたのかは不明です。ミレレスの電話が使われたからです。」
「それ自体は別に怪しくない。」

とロホが言った。しかしアスルは不思議なことを言った。

「ミレレスがトラックに撥ねられるのを目撃した通行人は数人いました。彼等はトラックの特徴を覚えていました。だが、彼の死体に近づいて彼の携帯電話に触った人間の風態を覚えている人が1人もいない。」

 1分程テーブルを沈黙が支配し、それからテオが尋ねた。

「通報した人は、救急車を呼ばなかったんだな?」
「呼んでいない。ミレレスが死んだことを確認したのだろう。」

 少佐が呟いた。

「”シエロ”ですね。」

 テオは”心話”が出来ないが、この時3人の大統領警護隊隊員の考えが理解出来た。ミレレスは、消されたのだ。彼の体に直接触れることなく、何らかの気の作用でトラックを操作して彼を轢かせた。
 ロホがアスルの捜査中に独自に電話やネットで調査した結果を報告した。

「ピア・バスコ医師が、昨日の午後憲兵隊本部に息子のビトが病死したと届けを出しました。」
「病死・・・」
「ピューマに襲われた上に、刺されて死んだなんて、不名誉な事実を公にしたくなかったのでしょう。彼女は医者ですから、検死報告も提出しました。本部は隊員の突然の死去にショックを受けています。今夜通夜を行い、明日葬儀です。公務での死去ではないので、公葬ではありません。」
「葬儀はビダルも出ますね?」
「出ます。大統領警護隊は隊員の家族の死去なので、花を贈ります。」

 ビダルはまだ弟に盗まれた物を取り返していない。きっと針の筵に座っている気分だろう。



 

 

 

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