2021/12/25

第4部 牙の祭り     7

  ケツァル少佐はアスルに、憲兵隊の車を憲兵隊基地に戻して、それから休むように命じた。

「私達を待つことはありません。明日は通常業務を行なって下さい。指揮はロホに一任します。あなた方の力が必要になれば連絡します。」
「承知しました。」

 アスルは敬礼で挨拶に替え、先に外へ出て行った。
 少佐はビダル・バスコ少尉にも命じた。着替えて母親の診療所に案内するようにと。当然、テオの服が貸し出されるのだ。テオは毎回”ヴェルデ・シエロ”が事件に巻き込まれる度に衣服を提供しているような気がしたが、彼も服が汚れた時は少佐に着替えを買ってもらっているので、文句を言わないことにした。ビダルは少し体格が小さかったが、ボトムの裾を折り曲げる程度で修正は済んだ。
 テオの車に乗り込むと、少佐は自らハンドルを握った。テオが彼女の疲れを気遣うと、彼女は笑った。

「今日は殆ど力を使っていません。それに常にエネルギーの補給源が目の前にありましたから。」

 そう言えば、踊らずに食べてばかりいたな、とテオは納得した。彼は後部席に座ったビダルに尋ねた。

「バスコ少尉、君の出身部族を聞かせてもらって良いかな?」

 ビダルは疲れた声で説明した。

「母はブーカとジャマイカのミックスです。父はブーカと”ティエラ”のメスティーソのミックスです。だから、私はブーカです。」
「有り難う。」

 つまり、これから会う彼の母親がアフリカ系なのだ。セルバ共和国で医師免許を取れる大学は国立のグラダ大学と、私立の大学が1校あるだけだ。

「お母さんはセルバ国内の大学を出て医師免許を取ったの?」
「スィ、グラダ大学です。今一緒に住んでいる恋人もグラダ大学出の医者です。」
「君達はお父さんに引き取られた?」
「両親が離婚したのは、私達が陸軍に入隊した後ですから、どっちに親権があるとか、そんな問題はありませんでした。それに、父は離婚して1年経たないうちに亡くなったので。」
「ごめんよ、哀しいことを聞いてしまった。」

 多分、ビダル・バスコは19歳か20歳だ。アスルと同期なのだろう。
 ビダルの母親の診療所はグラダ・シティの西部にある低所得者層が住む地区にあった。裕福ではないが、貧しくもない庶民の街だ。強いて言えば、マカレオ通りの住宅街をちょっとだけランクを下げた感じの街で、住宅と店舗と町工場が入り混ざって、それなりに活気がある区域だった。しかし今は真夜中だ。飲食店が多い地区と違って暗く静かだった。
 ビダルの母親の診療所は入院施設のない町医者の施設だった。しかし手術設備はあるのだと、ビダルは言った。重症者だけ離れの部屋に寝かせて、動ける者は手術の後は帰宅させると言う。テオにはかなり乱暴な診療に聞こえたが、それがこの国では普通の医療体制だった。
 少佐は車を診療所の敷地ではなく路上に駐車した。母親の同棲相手に気づかれぬ配慮だ。3人が外に出て、入り口まで行くと、ドアが開き、暗がりの中に背が高い女性が立っているのが見えた。ビダルが紹介した。

「母のピア・バスコです。」

 そして母親には、ミゲール少佐とドクトル・アルスト、と客を紹介した。少佐がピアにお悔やみを囁き、テオも真似た。ピアは感謝の言葉を短く述べて、すぐに彼等を診療所の中に入れた。無言で手術室へ案内した。照明を点けてくれなかったので、テオには真っ暗だったのだが、少佐が手を引いてくれた。彼女のいつものさりげない心遣いが彼には嬉しかった。
 手術室は窓がなく、そこでドアを閉めてからピアは初めて照明を点けた。
 肌が黒い、ほっそりとした、しかし意志の強そうな目をした女性だった。息子のビダルと鼻筋あたりがよく似ていた。ビダルはイケメンだが、全体は母親似とは言えず、父親が男前だったのだろう、とテオは想像した。
 遺体は手術台の上に裸の状態で横たわっていた。既に洗浄されており、テオは殺人者の手がかりが洗い流されたのではと危惧した。しかしピアは医者だ。素人ではなかった。

「ドクトルは遺伝子の専門家と息子から聞いておりましたので、ビトの体から出来るだけサンプルを採取しておきました。」

 彼女は冷蔵庫からシャーレとガラスの小瓶を数本出した。ラベルに採取箇所と「牙の跡」「爪の跡」「爪の間の異物」「歯の間の遺物」などの説明が記入されていた。洗浄される前の遺体の写真も撮っていた。テオは血に塗れた肉片や皮膚片を眺め、有り難く受け取った。
ピアは息子の遺体を無惨な姿のまま放置しておけず、ビダルが協力者を探しに出かけている間に、捜査に必要と思われるサンプルを採取してから遺体を洗浄したのだ。
 テオはビダルとビトを見比べた。確かにそっくりだ。しかし死者と生者ではやっぱり印象が異なる。生きている人の方が美しく見えた。ビトの顔に傷があるせいかも知れないが。

「ジャガーでしょうか?」

とビダルがケツァル少佐に尋ねた。少佐は直ぐには答えなかった。じっと遺体の顔を眺めてから言った。

「傷はジャガーが付けたのでしょう。致命傷はどれですか?」

 ピアが遺体の右脇腹の傷を指した。

「肝臓の傷です。これだけ刃物で刺されたものです。」
「それはおかしいですね。」

 テオは少佐の感想を理解した。彼は右脇腹の傷と全身に付けられている牙や爪の跡を見た。

「俺は医者じゃないから間違っているかも知れないが・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”達が注目したので、彼はちょっと緊張した。

「爪痕や牙の噛み跡は一部瘡蓋が出来ている。ジャガーがこれらの傷を付けた犯人だとしたら、ビトはジャガーに襲われてから少し時間が経ってから亡くなったことになる。だが、脇腹の傷は新しい様な気がする。」

 ピアが改めて息子の全身を眺めた。そしてテオを見た。

「興奮していたので、気がつきませんでした。スィ、貴方のご指摘通りです。ジャガーによる傷と刃物傷には時間差があります。」


 


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