2021/12/12

第4部 忘れられた男     20

  アリアナ・オズボーンから電話がかかって来た時、テオはゴンザレス署長の自宅で、会計士ホセ・カルロスから頼まれた書類の清書をしていた。役場に提出する期限が週明けの月曜日の午後だと言うのに、カルロスは彼を当てにして何もしていなかったので、テオは殺人的な忙しさだった。しかし、画面にアリアナの名前が出たので、電話を無視出来なかった。何かエルネスト・ゲイル絡みの事件でも起きたのかと不安を感じつつ、彼はボタンを押した。

「オーラ?」
「テオ、今何処にいるの?」
「何処って、エル・ティティだよ。」

 一瞬間があってから、彼女が、なんだ、と呟いた。だから彼の方が逆に尋ねた。

「何かあったのか?」
「そうじゃなくて・・・」

 彼女は少し躊躇ってから、言い訳するように説明した。

「貴方がケツァル少佐とロペス少佐と出かけてから、何も連絡がなかったから・・・」
「少佐は帰っただろ?」

と言ってから、テオは女性の少佐だと言い直した。英語では男女同じだ。

「ラ・コマンダンテの方・・・」
「彼女は帰って来たわ。でも、貴方達がどんな用件で出かけたのか、教えてくれないの。」
「ハリケーンで漂着した遭難者の身元調査だって、彼女は言ってなかったか?」
「言ったけど・・・」

 アリアナは躊躇った。それで、テオはふと思い当たった。彼女は、ロペス少佐が気になるのだ。彼女はまだ結婚する相手が彼だと、テオに告げていなかった。だからテオの方から先に言ってやった。

「ロペス少佐から婚約のこと、聞いたぞ。」

 彼女が黙ったので、彼は明るい声で言った。

「おめでとう! 式には呼んでくれるんだろうな?」
「ありがとう!」

 アリアナの声も弾んだ。

「彼から聞いたの?」
「うん。いきなり、車の中で、君との結婚を許して欲しいって言われて、たまげたよ。俺は君の親じゃないし、血のつながった兄貴でもない。だけど、君の唯一人の親族と彼は看做してくれた。感謝しているし、俺達の様な生まれの人間でも気にせずに愛してくれることにも、感謝している。」

 アリアナが電話の向こうで、涙を堪えて、「ええ」と呟いた。

「良い人よ・・・とても・・・」
「強いし、頼りになる男だな。」
「ええ・・・」
「幸せになれよ。」
「有り難う。」

 ちょっと間が空いた。彼女は感情の昂りを抑えて、それから、やっと次の話題に移った。

「貴方達が出発してから、彼から連絡がないんだけど、貴方はもうグラダ・シティに戻ったのよね?」

 ああ、そう言うことか、とテオは得心した。アリアナは婚約者から電話がないので心配しているのだ。

「彼は忙しいんだよ。漂流者が不法入国者の疑いがあったので、取り調べやら何やらで、外務省と憲兵隊基地を行ったり来たりしている。俺もちょっとだけ手伝いをしたんだ。多分、次の週末迄には、彼の仕事も片付くさ。」
「忙しいだけなのね?」
「うん。移民や亡命の件でないとはっきり分かれば、彼の仕事も一段落つくさ。だから、気を揉まずに、君は君のことをしていれば良い。」
「信じて良いのね?」

 アリアナはちょっぴり懐疑的になっていた。”ヴェルデ・シエロ”が絡むと、セルバ共和国では秘密裏に進行する物事が多々ある。彼女は婚約者に良くないことが起きたのではないかと心配だった。白人との婚約に、誰かの機嫌を損ねたのではないか、と。

「ケツァル少佐に電話しても、短い会話だけですぐ切られちゃった。」
「彼女は月曜日からオクタカス遺跡へ出張するんだ。2週間はかかるらしい。彼女の留守を預かるロホやマハルダ達もそれで忙しい。」

 テオは彼女に注意を与えた。

「セルバ人がいつものんびりしていると思ったら、大間違いだぞ。忙しい時、連中は自分優先で俺達のことを構ってくれないから、それを肝に銘じて結婚しろよ。」
「何、それ?」

 アリアナがやっと笑ってくれた。そしてテオはエルネスト・ゲイルのことを触れずに済んだ。



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