空腹とその夜の宿はどうするのかと質問するエルネスト・ゲイルを残して、テオはムンギア中尉と検索係の憲兵と共にアウマダ大佐のオフィスに戻った。憲兵がドアを開き、中尉、テオ、憲兵の順で入室した。オフィスには客がいて、その姿を見た瞬間、テオは一気に緊張した。
白い麻のスーツに黒いシャツ、白いネクタイ、白い靴の先住民の男が大佐の椅子の横に立っており、大佐は椅子にぼんやりと座っていた。
「尋問が終了したようですね。」
と男が言った。そしてテオを見て、微笑んで見せた。
「憲兵隊への協力に感謝しますよ、ドクトル・アルスト。」
テオは相手の額を見た。セルバ式のマナーだ。
「建設大臣の秘書殿が、漂流者に何か御用ですか、セニョール・シショカ?」
シショカが憲兵に命令した。
「ドアを閉めろ。」
憲兵は言われた通りにした。テオは悟った。このアウマダ大佐の部屋の中はシショカの結界に取り込まれている。大佐以下室内の憲兵隊の人間は全員シショカの”操心”にはまってしまったのだ。ムンギア中尉も今やぼんやりと立っているだけだった。彼等には、テオとシショカの会話が聞こえていないのだ。
シショカが溜め息をついた。
「大統領警護隊が情報を出し渋るので、時間がかかった。あの漂流者は、”出来損ない”のカルロ・ステファンを誘拐した当事者と言うではないか。」
「だから?」
テオは不安に襲われた。シショカはエルネスト・ゲイルを消しに来たのか?
「本来なら、アメリカ政府に我々の存在を知らしめる結果を作った”出来損ない”を処分するべきだが・・・」
シショカは身の毛がよだつ様な恐ろしいことを平気で言った。
「そうなると、あの”出来損ない”に任務を与えた大統領警護隊のみならず、長老会にも火の粉が降りかかる。だから彼等はあの”出来損ない”には決して手を出すなと我々に厳命した。」
シショカが言う「我々」とは、”砂の民”のことだ。
「北の国はセルバのことに目を瞑っている。この国の存在を忘れかけている。このまま平穏に行けば、何の問題も起こらぬ。しかし・・・」
テオはごくりと唾を飲み込んだ。シショカはエルネスト・ゲイルの出現を憂慮すべき事態と考えている。明白だった。
「セルバ共和国政府があの男を北の国へ返せば、北の連中はセルバを思い出す。それは困る。わかるな、ドクトル・アルスト?」
「エルネスト・ゲイルを消すと言うのか?」
テオは、エルネストを愛していないが、セルバ人に殺させたくなかった。
「あの男は不愉快な人間だが、はっきり言って、馬鹿だ。さっきの尋問で知ったばかりだが、彼は政府機関を解雇されて、民間企業に就職している。あまり素行の良くない会社の様だが、そこであの男が重要ポストについているとも思えない。政府から政府へ引き渡すのではなく、アメリカの海岸にでも放置しておけば良いんじゃないか?」
何を甘いことを言っている?と言いたげにシショカが眉を上げた。その時、ドアをノックする者があった。シショカが、チェッと舌打ちした。不意に憲兵達が動いた。結界と言うか、”操心”が解けたのだ。再びノックの音がして、大佐が憲兵に開けろと合図した。
ドアが開かれ、入って来た人の顔を見て、テオはホッとした。外務省のシーロ・ロペス少佐だった。少佐はシショカを見ても何も言わず、アウマダ大佐に挨拶した。
「漂流者の調査は終わったか?」
大佐が視線を向けたので、ムンギア中尉が急いで録音機を出した。
「こちらに・・・」
大佐ではなく、ロペス少佐がそれを受け取った。テオは少佐に囁いた。
「研究所の話が少し入っています。」
少佐が頷いた。そしてアウマダ大佐に言った。
「アメリカ合衆国の人間だと言うことなので、外務省で例の男を預かる。」
ムンギア中尉が言った。
「あの男は先刻の取り調べで、密漁の疑いがあります。」
「でも、セルバ領海とは限りません。」
とテオは急いで口を挟んだ。ここでロペス少佐にエルネスト・ゲイルの身柄を預けた方が、憲兵隊基地に置いておくよりエルネストにとって安全と思われた。
ロペス少佐はテオに頷いて見せ、大佐を見た。アウマダ大佐は大統領警護隊に逆らわなかった。
「あの男の身柄を、そちらが指示される場所へ移します。」
「結構、では外に大統領警護隊の護送車が待っているので、そちらに乗せて頂きたい。」
護送車? テオは内心驚いたが、黙っていた。ロペス少佐もエルネストの出現を危険視している。だが、シショカの様な残酷な男が取る方法で「処分」はしないだろう。
大佐が部下にエルネスト・ゲイルの移送の準備を命じた。ロペス少佐がムンギア中尉に録音機を見せ、「暫くお借りする」と言った。
テキパキと動く憲兵隊を見ながら、テオはバスの時刻にまだ余裕があることを確かめた。余裕はあるが夕食は諦めるしかないだろう。
ロペス少佐が、ドクトルの用事も終わったな、と大佐に確認した。アウマダ大佐がテオに帰っても良いと言ってくれたので、テオは少佐と共にオフィスを出ようとした。すると、シショカが初めてロペス少佐に声をかけた。
「少佐・・・」
ロペス少佐が振り返らずに足だけ止めた。
「何かな?」
「外務省はあの男をどうするおつもりか?」
「然るべき手段で、帰国させる。」
とロペス少佐は言い、初めてシショカを振り返って見た。
「ハリケーンでインフラ被害が多く出ている。建設大臣はご多忙だろう。早く帰ってお手伝いされてはいかがかな?」
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