2021/12/26

第4部 牙の祭り     10

  テオが自宅に帰ると、アスルが出勤の準備をしている所だった。1人で帰って来た家主に彼は「朝飯は?」と訊いただけだった。テオも「食べた」とだけ答え、寝室から仕事鞄を取ってきた。ケツァル少佐からの伝言を彼に聞かせてから尋ねた。

「大学へ行く。君は乗って行くかい? それともロホを待つか?」
「いつも通りに行く。あんたは早過ぎないか?」
「遺伝子の分析中なんだ。機械のお守りをしなきゃね。」

 家を出かけて、テオは立ち止まった。リビングを振り返って質問した。

「ビダルに彼女はいるのかな?」
「俺があいつのプライベイトな生活を知る訳ないだろう。」

 アスルは無愛想に答えた。このツンデレ君が消しゴムを集めているのか。テオは笑いそうになって、急いで外へ出た。
 大学に出勤すると、彼は事務局で鍵を受け取る際に、ケサダ教授は出勤する日かと尋ねた。事務員はパソコンを叩いて、画面を見た。そしていつも通りに来ると答えた。いつも通りならデータ検索しなくても来るとわかるだろう、とテオは思った。
 研究室で分析器が順調に動いていることを確認して、授業の準備をし、残りのビト・バスコの遺物をできる限り分析した。それからケツァル少佐にケサダ教授の遺伝子分析を頼まれていたことを思い出した。まだ教授のサンプルを採取する機会が巡ってこないのだ。
 授業は初級講座だ。主に1年生対象だが、今季から遺伝子工学を学び始めた人もいて、質問が多い授業となった。テオは昨年の植物から今季は動物に対象を変更したので、受講者がやけに多かった。セルバ人はDNAに興味があるのだろうか。彼の授業はアリアナの研究とも関連がある遺伝病に関するもので、人種や親族の判定にはあまり触れない。勿論遺伝病なので親族は関係するが。
 お昼前に研究室に戻り、分析器をチェックした。それから部屋を施錠して、キャンパス内のカフェにお昼ごはんに出かけた。料理をカウンターで選んでいると、ケサダ教授が1人後ろにいたので、声をかけると、同じテーブルで良いですか、と訊かれた。混み合っていたが、教授は何らかの力で既に席取りをしていたのだ。2人掛けのテーブルで向かい合って座った。
 最初に教授からアリアナの結婚の祝辞をもらった。それで、新郎のロペス少佐を知っていますかと尋ねると、直接の知り合いではないが、留学生の手続きなどで名前を耳にすることはある、と教授が答えた。

「たまに在籍だけして、実際には学校へ来ない留学生がいるので、移民・亡命審査室へ報告するのです。密入国ではないが、不法滞在になりますからね。調査するのは少佐の部下の事務官達ですから、私と少佐が直接関わることは現在のところありません。」

 それにしても、とケサダ教授が微笑した。

「外務省出向の大統領警護隊隊員と遺伝病理学のお医者さんがカップルになるのも珍しいですね。」
「少佐は、俺達が亡命する時から彼女に目を留めていたようです。」
「それは油断も隙もあったもんじゃない。」

 ケサダ教授は機嫌良く笑った。テオは笑みを返してから、ちょっと深呼吸して、思い切って言った。

「実は一昨日、憲兵隊の隊員が1人亡くなりました。」

 教授がテオを見たが、その目は何の反応も示さなかった。テオは続けた。

「双子の兄弟が大統領警護隊の少尉なのですが、偶然2人の休暇が同じ日になって、実家で出会ったそうです。憲兵は警護隊の兄に制服交換を持ちかけ、互いの職場の人を騙せるか試してみようと提案したそうです。」
「それは異な提案ですね。」

 とケサダ教授が感想を述べた。

「憲兵隊を誤魔化せるかどうか、わかりませんが、大統領警護隊を騙すのは不可能でしょう。」
「俺もそう思いました。当然兄もそんな誘いに乗らず断ると、弟は腹を立てて口を訊かなくなったそうです。ところが、次の朝、兄が目を覚ますと、弟は姿を消しており、大統領警護隊の制服と何やかんやがなくなっていた。」

 ケサダ教授が食事の手を止めた。明らかに驚いていた。

「制服と何やかんや?」
「IDカード、徽章、財布、それに拳銃・・・」
「それは・・・」

 教授が顔をテオに近づけた。声が小さくなった。

「非常に拙い。身内と雖も、大統領警護隊の物を勝手に持ち出せば犯罪行為です。これは、警察官や消防士でも同じことではありますが。」
「確かに。ですから、兄は必死で弟を探しました。そして見つけられずに昨日の朝、帰宅すると、実家で弟が死んでいるのを発見しました。」

 ケサダ教授は姿勢を元に戻した。黙って己の皿の料理を見ていたが、実際は何も見ていないだろう、とテオは思った。
 やがて教授が言った。

「私の部屋でシエスタなさいませんか?」


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