車のドアが開いて運転席から憲兵が1人降り立った。男性だとわかったが、テオは彼の顔を判別出来なかった。暗がりの中に男がいたのが理由の一つだったが、その顔が黒かったせいもあった。セルバ共和国の人種構成は、60パーセントがメスティーソ、30パーセントがインディヘナ、残りがヨーロッパ系白人で、アフリカ系の国民は純血のインディヘナよりマイノリティだ。
その稀な肌の色をした憲兵を知っていたのか、アスルが呟いた。
「サンボのビトだ。」
「ノ。」
とケツァル少佐が訂正した。
「あれは兄のビダルです。」
アスルがちょっと驚いて上官を振り返った。
「憲兵隊勤務をしているのはビトですよ。」
「でも、あれはビダルです。」
少佐は頑固に言い張った。テオはビトとビダルの区別どころか、憲兵が混血の男性としかわからなかった。インディヘナとアフリカ系の混血のサンボなのか、ヨーロッパ系とアフリカ系の混血のムラートかも判別出来なかった。街灯が切れていて、長屋周辺の道路は暗かったのだ。
「そのビトとビダルは似ているのか?」
彼の質問にアスルが答えた。
「双子だ。ビトが憲兵隊で、ビダルが大統領警護隊だ。」
テオはちょっとびっくりした。大統領警護隊に黒人の血が流れている隊員がいると耳にしたのは初めてだった。世間で大勢いるメスティーソが純血種から差別を受けている大統領警護隊の中で、アフリカ系の人がいるとなると、かなり厳しい体験をしているのではないか、と不安を覚えた。
当然ながらその憲兵は”ヴェルデ・シエロ”だ。近づいて来るテオ達に向かって敬礼で出迎えた。その敬礼の仕方を見て、アスルがチェッと舌打ちした。
「やっぱりビダルでした。」
なんで?とテオは疑問を感じた。大統領警護隊勤務をしているのがビダルと言う人なら、何故憲兵隊の制服を着て、憲兵隊の車に乗っているのだ?
ケツァル少佐がビダルの前に立った。
「何故ここにいるのです、ビダル・バスコ少尉?」
「ブエナス・ノチェス、ミゲール少佐。」
ビダルの声は若く、恐らく本人もまだ若いのだ。
「お力を貸して頂きたく、お待ちしておりました。」
少佐は多分疲れている。それはアスルもテオも同じだ。しかし、若い大統領警護隊隊員が憲兵の姿をして現れ、力を貸して欲しいと言う。少佐が尋ねた。
「急ぐのですか?」
「出来れば・・・」
ビダルはテオを見た。
「グラダ大学で遺伝子の研究をされている先生ですね?」
「スィ。」
「ドクトルのお力も必要です。」
アスルがテオの家を指差した。
「服を着替えたい。俺が着替えをしている間に、少佐に話を聞いて頂け。俺は後で少佐からお聞きする。」
テオの家なのだが、アスルはテオの了解もなく客を招いた。彼を下宿させると決めた時に、友人を連れて来ても良いと言ったのはテオだ。ビダルは友人でない様だが、テオは拒否する理由がなかった。それに客は彼の協力も必要だと言ったのだ。
家の中に入ると、アスルとテオはそれぞれの部屋に入り、普段着に着替えた。その間にケツァル少佐は冷蔵庫から冷えた水の瓶を出し、客に振る舞った。
Tシャツとジーンズに着替えたテオとアスルがリビングに入ると、ビダル・バスコ少尉と呼ばれた若者は片手に水のグラスを持ったまま、ソファに座って俯いていた。細かく縮れた頭髪を細かく編み込んだお洒落な男だ。遊撃班にいなかったので、警備班なのだろう。ケツァル少佐もアスルも大統領警護隊の隊員全部を覚えている訳はないだろうが、サンボの隊員は珍しいので覚えているのだ。
テオはビダルが泣いているのだと察した。俯いて、ぐっとグラスを握りしめている。あれ以上力を入れるとガラスが割れて危険だ、と思った彼は両手を伸ばしてビダルのグラスを握る手を包んだ。ビダルが顔を上げて彼を見た。テオは言った。
「グラスを握り潰しちゃ危ないぞ。」
ケツァル少佐は少し離れてダイニングテーブルの椅子に座っていた。既に”心話”で事情を聞き取った様だ。彼女はアスルを見て、伝え、それからテオに言葉で説明した。
「バスコ少尉の弟のビトが殺害されました。」
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