2022/01/01

第4部 牙の祭り     31

 「ムリリョ博士、」

とテオは話しかけた。

「フィデル・ケサダ教授の出身地はオルガ・グランデだと聞きました。もしかして、彼の母親はマレシュ・ケツァル、改名してマルシオ・ケサダと言う女性ではありませんか?」

 ムリリョ博士がジロリと彼を見て、それから視線をケツァル少佐に移した。

「イェンテ・グラダ村での話をこの男に語ったのか、ケツァル?」
「何のことでしょう?」

と少佐は惚けてみせたが、そんな小芝居が通じる相手でないことは承知していた。

「村跡で聞いたり見たりした話はしていません。ただ、私がとても興味を抱いたことを、彼に言ったまでです。現在、グラダ族はカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガ、そして私だけです。カタリナ・ステファンと娘のグラシエラは能力を封印されているのでグラダとは認めてもらえません。私は純血種ですが女です。男の能力の使い方を完全には理解していません。もし他にグラダの男性がいるなら、カルロとアンドレの指導をお願いしたいと思うのです。」

 ムリリョ博士が天井へ顔を向けた。悩んでいるのか? テオは、その態度は少佐の考えを認めたことだ、と思った。

「もし、力の正しい使い方を知るグラダの男がいるなら・・・」

とムリリョ博士が囁く様に言った。

「この儂が頼みたい。フィデルにその使い方を教えてやってくれ、と。」

 彼はケツァル少佐に視線を戻した。

「お前が睨んだ通り、確かにあの男はグラダだ。紛れもなく純血のグラダの男だ。」

 テオは息を呑んだが、ケツァル少佐も目を見張った。

「マレシュはあれの父親が誰なのか明かさなかった。父親である男にも明かさなかった。だが、エウリオ・メナクかヘロニモ・クチャのどちらかだ。グラダの女らしくと言うか、イェンテ・グラダ村の風習に従って複数の男と関係を持ったのだ。生まれた赤ん坊はそれまで誰も感じたことがない強い気を放っていた。シュカワラスキ・マナに匹敵する強さだった。エウリオ、ヘロニモ、そしてマレシュはイェンテ・グラダ村が一族によって滅ぼされたことを知っていた。3人の幼子がグラダ・シティに連れて行かれたことも知っていた。オルガ・グランデに住み着いた3人のグラダの血を引く者達は自分達の赤ん坊を守る為に、子供の父親を偽って届け出た。オルガ・グランデ生まれでグラダ・シティに引っ越したマスケゴ族の男の名前を借りたのだ。だから役所に出されたフィデルの出生届の父親の欄には、母親が会ったこともない男の名前が書かれている。
 儂はシュカワラスキ・マナがオルガ・グランデに逃亡する前に、オルガ・グランデ周辺の遺跡調査の為に彼の地にいた。そして3人のイェンテ・グラダの生き残りと知り合った。彼等は儂が”砂の民”とは知る筈もなく、ただ一族の考古学者だと言う認識だった。儂の方は彼等が滅びた村の生き残りと知って心の中で仰天していたのだがな。その時、エウリオは既にメスティーソの女と結婚して娘がいた。ヘロニモは独り身だった。マレシュは男のふりをして生きていた。身を守るためだ。だから彼女が女であることを知ったのは、かなり後のことだ。マレシュの家に若い男が1人いた。儂が出会った時、まだ少年だった。3人の生き残り達は儂にその子をグラダ・シティへ連れて行ってくれと頼んできた。教育を受けさせ、マスケゴ族として相応に仕込んでくれと。儂はまだその頃は族長でも長老でもなかった。だが、そんな子供が部族の中にいるとは知らなかったので驚いた。誰の子かと訊いても書類通りの答えしか返って来なかった。」

 少佐が尋ねた。

「フィデルは父親が誰かは知らない。でも母親は知っているのでしょう?」
「2人きりの時のマレシュは女に戻っていたからな。彼女はフィデルに言い聞かせ、儂についてグラダ・シティに行くことを承知させた。まだ10代になったばかりの子供だ。心細かっただろう。必ず後から行くと言う母親の言葉を信じて、彼は儂と共にグラダ・シティに来て、儂の家でそのまま育った。やがてオルガ・グランデの戦いが始まり、儂は役目を果たさねばならなくなった。フィデルは儂の妻が養育を続けた。徹底してマスケゴの男らしく、目立たず誇りを保ち、気高く生きろと。戦いが終わり、儂が3人のイェンテ・グラダの生き残り達と別れて家に戻った時、フィデルは成年式を迎えようとしていた。マスケゴの族長と長老達、養い親の前で彼は変身して見せた。」

 そこでムリリョは黙り込んだ。テオは待った。ケツァル少佐も待った。
 グラダ族の男性のナワルは黒いジャガーだ。”砂の民”のナワルはピューマだ。そして、人間が知る限り、自然界でも飼育下でも、黒いピューマの存在が確認されたことは一度もない。
 博士が口を開きそうにないので、ケツァル少佐が思い切って言った。

「貴方は、見てはいけないものをご覧になったのですね?」

 テオは彼女を見た。少佐はそれ以上言ってくれなさそうだ。ムリリョを見ると、こちらは目を閉じた。見たものを瞼の内側でもう一度見ているのかも知れない。ムリリョ博士が微かに身震いした。

「古代の大神官のナワルを見ることを許されるのは、ママコナだけなのだ。」

と彼は囁いた。

「大神官?」

 テオは思わず呟いてしまった。
 シュカワラスキ・マナは大神官に仕込まれようとして、修行を嫌い、自由を求めて逃亡した。純血種の黒いジャガーだったから。それが純血種の黒いピューマだったら、どうなるのだ?

「グラダ族から過去にピューマを出したことはなかったのか?」
「グラダは古代に滅びたことになっていた。混血が進んだからだ。だが言い伝えは残っている。大神官に選ばれるグラダの男は黒いピューマが優先されると。それだけ、古代でも珍しい存在だったのだろう。」
「それじゃ、ケサダ教授は大神官になれる人なのか?」
「ノ!」

 ムリリョ博士がはっきり否定した。

「大神官の修行は幼少期から始めねばならぬ。フィデルは成年式で何者か判明した。修行を始めるのは手遅れだったし、本人も望んでおらぬ。彼は母親の希望を尊重しマスケゴ族として生きる道を選んだ。」
「でも、力は誰よりも大きい・・・」

 少佐の言葉に博士は大きく頷いた。

「恐らく、現在生きているどの”ヴェルデ・シエロ”より彼は大きな力を持っておる。それに、彼のナワルは黒くないのだ。」


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