「医療ジャーナルに書かれていたと思いますが、僕はシャーガス病の研究をしています。あの病気はまだワクチンがありません。多くの人々が苦しんでいます。ですが、セルバ共和国にはシャーガス病の発症例が一つもありません。」
マイロがアキムを見つめると、アキムが首を振った。
「確かに、私もシャーガス病のことは知っています。」
「貴方が診てこられた患者の中で、あの病気に罹患していると疑いのあった人はいましたか?」
アキムはちょっと考え込む素振りをした。片手で顎髭を撫でて、空を見つめ、やがてマイロに視線を戻した。
「この診療所の患者には当該症例の人は出ていません。」
「そうでしょう!この国にはシャーガス病が発生していないのです。周辺の国には当たり前の様に患者が発生しているのに・・・」
マイロは携帯の画面にサシガメの写真を表示してアキムに見せた。
「こんな昆虫を見たことはありませんか?」
「庭にいそうだが・・・」
「家の壁とか・・・?」
「否、家の中にはいません。」
マイロは室内を見回した。アキムが言い直した。
「家とは、一般家庭と言う意味で、私の家と限定した訳ではありません。」
するとチャパが彼に尋ねた。
「アスクラカンでも家を建てる時に祈祷してもらうのですか?」
アキムが彼に向かって微笑んだ。
「スィ。郷に入れば郷に従え、ですよ。」
マイロは宗教的なことには興味がなかった。民間信仰を信じるたちではない。だが、もしかすると、と言う考えが頭をよぎった。
「その祈祷と言うのは虫除けの様なことをするのかな?」
とチャパに尋ねてみた。チャパがちょっと困った様な顔をした。
「いえ、悪霊全般を家から遠ざけるお祈りです。祈祷師を呼んでお祈りしてもらうんです。」
アキムが苦笑した。
「殆どのセルバ人が家を建てる時にそうします。貴方はまだご覧になったことがないのですね。」
「ええ・・・まだ色々入国後の書類仕事が忙しくて、大学の外へ出かける時間がないんです。住民と触れ合う機会をもっと増やして情報を集めたいのですが。」
「セルバ人はカトリックですが、古代の民間信仰も持っているのです。家を新築する際の祈祷は重要な様です。祈祷師の数が少ないので、新築が重なると祈祷師の取り合いになる程ですよ。」
するとチャパも言い添えた。
「祈祷しないと、その家の住人は病気になるんです。悪霊が入って来るから・・・そう信じられています。」
悪霊がサシガメのことだとは思えない。マイロはシャーガス病がセルバに存在しない理由をそこでも発見出来なかった。アキムが、アスクラカンにはどれぐらい滞在するのかと訊いた。マイロは農村部へ調査に行きたかったので、3日程と答えた。
「近郊の集落などで昆虫を探してみようと思っています。症例発生地の昆虫とこの国の昆虫の差異を調べたいのです。」
するとアキムが微笑んだ。
「それではうちに泊まりなさい。部屋はありますよ。家族は妻と私だけです。たまには客を迎えるのも良いものです。」
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