2022/01/11

第4部 花の風     23

  アスルとの静かな夕食を済ませると、テオはゲノムの分析結果表を詳細に眺めた。アスルはいつもの様にサッカー中継をテレビで観戦していた。近所の家から聞こえて来るような興奮した叫び声を上げたりしないが、熱心に見ていて、テオがコーヒーを淹れてやっても直ぐには気づかない程だ。
 テオは3時間程分析表を見つめ、やがて大きな溜め息をついてデスクのライトを消した。書斎兼寝室を出ると、サッカーの試合が終わったところで、アスルがテーブルの上を片付けていた。

「遺伝子の分析は途中だが、結果は大体出た様だ。」

とテオが言うと、アスルは手を止めて彼の顔を見た。テオはちょっと笑って見せた。

「アンドレはウィッシャー氏の子供ではなく、ギャラガ氏の子供だ。」

 アスルは数秒間彼を見返し、そして頷いた。微かに安堵の表情が見て取れた。

「顔の印象は似ているが、アンドレがロジャーと兄弟である確率は、俺の分析では殆どない。まだ見てみないといけないが、肉親だと言う決め手は現在の段階では皆無なんだ。ウィッシャーはアングロサクソンだが、アンドレはラテン系の白人の子供だと思う。彼には色々な人種が混ざっているが、イギリス系ではないと、俺は思う。」
「あいつが何系だなんて、俺達にはどうでも良いんだ。」

とアスルは言った。

「あいつが肉親のことで今以上に悩まずに済めば、良いんだ。」

 テオは同意した。そして「おやすみ」と言って、寝室に戻った。デスクの上の分析表を折り畳み、鞄に入れた。
 翌日、大学に出勤すると、テオは医学部解剖学科のベアトリス・ビスカイーノ准教授にメールを送った。何時研究室にお邪魔すればよろしいかと言う問い合わせだ。ビスカイーノ准教授は3分後に返事をくれた。午後1時ではどうか、と言うことだ。シエスタの時間に行うと言うことは、彼女にとってはお遊びの次元なのだろう、とテオは予想した。
 承諾して、午前中の仕事に専念した。
 昼食は手早く取った。ちょっと楽しみで興奮していたのかも知れない。コンピュータでの復顔処理はテレビで見たことがあるが、実際に見るのは初めてだった。
 ビスカイーノ准教授の部屋に行くと、学生も数人いた。課外学習の形で彼女は行うのだとわかった。テオはアンドリュー・ウィッシャーの写真を画像が出来上がってから出すと言うことに決めて、彼女の作業を見学した。
 さまざまな方向から撮影したミイラの頭部の骨の写真から立体画像を作り、それにコンピュータが「肉付け」していく。3Dプリンターが部屋にあったが、ビスカイーノはそれを使わなかった。正規の製造依頼でないので、スクリーン画像だけの制作だ。
 
「苦悶の表情の骨だったから、画像もちょっと歪むかも。」

とビスカイーノは断った。最も画像が修正されており、彼女の言葉はちょっとした「脅し」に過ぎなかった。テオと学生達が見守る中で彼女はキーボードから次々とコマンドを入力していった。
 1時間後に出来上がった男性の顔を見て、テオは写真を出した。みんなでそれとスクリーン上の顔を見比べた。

「そっくりだ!」
「これでミイラの身元が判明しましたね。」
「遺伝子の方はどうなんですか?」

 テオは言った。

「親族から要求があれば分析するけど、申請がなければしない。」

 そしてビスカイーノ准教授と握手した。

「グラシャス、ビスカイーノ准教授。息子さんに連絡しておきます。」
「グラシャス。お役に立てて嬉しいです。」



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