2022/01/11

第4部 花の風     25

  テオはもやもやした気持ちを抱えたまま自宅に帰った。アスルがキッチンで野菜と肉の煮込みを作っていた。
 テオは鞄を寝室に放り込むと、ダイニングのテーブルの前に座った。甲斐甲斐しく働くアスルを見ながら、彼は呟いた。

「俺はお人好しだなぁ。」

 アスルが呟き返した。

「今頃気がついたのか。」

 ムッとしたが、アスルは元々口が悪い。テオは頭の上で手を組んだ。

「父親探しをしていたアメリカ人は偽物だとさ。ミイラは本物のアンドリュー・ ウィッシャーだが、ロジャー・ウィッシャーは偽物だ。だからアンドレと血縁ではないし、恐らくアンドリューとも他人同士だ。アンドレとミイラの比較を行わなければならなくなった。」

 アスルが肩越しに彼を見た。

「どんな結果が出ようが、アンドレは俺たちの一族だ。アメリカ人には渡さない。」
「当たり前だろう。」

と言い返してから、テオはドキリとした。ロジャー・ウィッシャーと名乗った男は、”ヴェルデ・シエロ”のDNAを採取に来たのではなかろうか。大統領警護隊に接近してみたものの、触れることさえ出来ず、相手にもされなかった。だから次に隊員と親しくしている遺伝子学者に接近した。何らかの理由をつけて隊員の細胞を手に入れようとしていたのであれば・・・。
 テオは研究室の冷蔵庫を思い出した。文化保護担当部の友人達のサンプルを保存してある。他人にわからないように記号で識別ラベルを書いてあるし、他にも色々動物や人間のサンプルを入れてあるが、根こそぎ奪われたらお終いだ。
 彼は玄関に向かった。

「大学に行ってくる。DNAのサンプルが心配だ。」

 ドアを開けようとすると、直ぐ後ろにアスルがついて来ていた。

「相手は武器を持っているかも知れない。俺も行く。」

 めっちゃ心強い用心棒だ。10人のならず者を薙ぎ倒した格闘技の達人だ。テオは彼に来いと手を振った。 アスルは外に出ると、小さく手を振った。後でわかったことだが、ちゃんとドアを施錠してくれたのだ。
 アスルを助手席に乗せてテオはグラダ大学に向かって車を走らせた。大した距離ではないが、夜のラッシュアワーが起こっていた。一般企業は省庁よりシエスタが長い分、終業時間が1時間遅い。企業勤めの人々が帰宅する時刻だった。なかなか前へ進まない。
 テオが焦っていると、アスルが言った。

「先に行ってる。」

 彼はテオの返事も待たずに助手席側のドアを開けて、外に降りた。ドアをバタンと閉めて、車の列の間を走って姿を消した。アッと言う間の出来事で、テオは何も言えなかった。通常なら15分で行ける距離を半時間かけて大学に到着した。遅く迄研究している学者もいるのか、いくつかの部屋の窓に灯りが点いていた。
 テオは駐車場に車を駐めると、自然科学学舎の研究室へ走った。アスルが開けてくれたのか、それとも何処かの研究者が開けっ放しにしているのか、入り口の扉が開いていた。テオは中に入った。何度か夜に来ているので、暗くても勝手はわかる。非常灯の灯りだけを頼りに階段を上り、2階の研究室へ行った。ドアの前へ行くと、アスルが気配でわかるのか、ドアを中から開けてくれた。

「まだ誰も来ていない。」
「それじゃ冷蔵庫の中の物を持って帰る。」

 ロジャー・ウィッシャーが偽物なら、今夜辺りにサンプルを探しに来るだろう。いつ迄もセルバでぐずぐずしていない筈だ。身分を偽る目的で利用した行方不明者が、ひょんなことからミイラになって現れたのだ。身元確認でセルバとアメリカの間で情報交換が行われて、回数が多ければ偽物の息子だとバレる。
 テオは携帯のライトを頼りに棚から保冷バッグを出し、冷蔵庫の中の友人達のサンプルを取り出して中に入れた。小さいので重量はないが、暗がりで落として紛失する恐れがあるので慎重に作業した。
 全部入れ終わって保冷バッグの口を閉めた時、アスルが囁いた。

「足音が近づいて来る。机の後ろに隠れていろ。」

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