関わるな、と言われてもやっぱり気になった。テオは自分で何とかするべきではないかと思った。ロジャー・ウィッシャーと名乗ったアメリカ人が、母国の諜報部員なら、危険な目に遭うのはテオではなくウィッシャーの方だ。彼は既に大統領警護隊と接してしまっている。警備班の中で噂になっているだろう。当然司令部にも話は伝わるし、司令官エステベス大佐が長老会に審理を依頼すれば当然の如く”砂の民”に指令が行くに違いない。このセルバ共和国内でアメリカ人に死んで欲しくなかった。不審な死を遂げたと本国が知れば、必ず調査する人が新たに派遣されて来る。そしてまた同じことが繰り返される。
日曜日も天気が良かったが、アスルは出かける気力がないのか家でテレビを見てゴロゴロしていた。テオも寝室兼書斎でロジャー・ウィッシャーと言う名前で色々検索してみた。外務省に問い合わせてみたかったが、セルバ共和国の省庁は土日をしっかり休むので電話もメールも返事がない。ちょっと考えてから、アリアナの携帯にメールを送ってみた。シーロ・ロペス少佐と話がしたい、と。
ロジャー・ウィッシャーの名前でテオが知っている男らしき人物は、靴製造会社の海外営業マンでヒットした。主に軍隊や登山関係の団体に靴を提供している会社だ。ウィッシャーはスペイン語が得意だと言うことで中南米と母国を行き来している。出身大学と海兵隊の所属部隊も書かれていた。元海兵隊か、とテオは男に感じた軍人の匂いに納得した。軍隊上がりだから用心しなければならないと言う訳ではないが、「大統領警護隊と仲良しの元アメリカ人」の存在を知っていると言うのは怪しい。テオはセルバ共和国在住のアメリカ人の団体とは距離を置いている。亡命したので、母国の人間に近づきたくないのだ。しかし彼もアリアナも研究者で、大学にはアメリカ人の研究者もいるし、訪問もある。嫌が王にも接しない訳にいかなかった。
シーロ・ロペスから電話がかかってきたのは、お昼ご飯を食べ終わった頃だった。スープとパンだけの質素な昼食を終えて洗い物をしていると、テーブルの上の携帯が鳴った。アスルが煩そうに怒鳴った。
「外務省の少佐だ!」
テオは急いで手を拭いて電話に出た。
ーー急ぎの用ですか?
とロペス少佐がいつもの冷静な声で尋ねて来た。
「急ぎかどうかわかりませんが、」
テオはロジャー・ウィッシャーと名乗るアメリカ人が彼とアリアナを探っているかも知れないと伝えた。
「実際どんな人物なのか、俺は昨日ちょっと言葉を交わしただけなのでわかりません。無害なのか、それとも敵なのか・・・」
ーー貴方からは接触しないことです。向こうから近づいて来たら連絡して下さい。
「わかりました・・・」
アリアナにも注意させてくれと言おうと思ったが、それより先にロペス少佐は電話を切った。
アスルがテレビを見ながら言った。
「日曜日に仕事を持ち込むから怒ってるんだ。」
「そうなのか?」
「多分、明日の朝、外務省に彼が出勤したら大統領警護隊からの報告が上がって来ている筈だ。それから彼は動く。」
「だが、ウィッシャーが諜報活動をする人物なら、日曜日も祝日も関係ないぞ。」
「入国の時に目を付けられていれば、監視が付いている。」
アスルはそれっきりテレビに関心を向けてしまい、相手にならなかった。
テオは洗い物を片付けてしまい、昼寝のために寝室に入った。ベッドにゴロリと横になって、さっきのアスルの言葉を考えた。
入国の時に目を付けられていれば
俺が初めてセルバへ来た時、監視を付けられたのだろうか? 俺が記憶を失ったバス事故は本当にただの事故だったのだろうか?
彼は首を振った。いや、そんな筈はない、あれはただの事故だ。”砂の民”は罪のないセルバ国民37人を、俺1人消すために一瞬で巻き添えにしてしまう筈がない。
しかし胸がドキドキして、結局昼寝をゆっくりする気分でなくなった。彼は起き上がり、ウィッシャーが勤めていると言う靴製造会社の出張所を検索した。ベンダバル、疾風 と言う意味の運動靴メーカーとしてセルバ社会では紹介されていた。店ではないので、今日はオフィスは閉まっている。明日行ってみよう。
テオはリビングに行った。アスルはサッカー中継を見ている。
「アスル、ベンダバルと言う運動靴を知っているか?」
アスルは振り向きもせずに答えた。
「知っている。だがマイナーだ。俺のチームはナイキを履いている。」
そして全然関係ない質問を返してきた。
「今週はどうしてエル・ティティに帰らなかったんだ?」
「ああ・・・親父の方の都合だ。」
テオは肩をすくめた。
「親父もやっとデートしたい女性を見つけたんだよ。」
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