2022/01/05

第4部 花の風     5

  テオはケツァル少佐のベンツで自宅迄送ってもらった。自宅の駐車スペースには今朝アスルに貸したテオの車が戻っていた。アスルが運転して戻った筈だが、それは酔っ払ってからなのか、酔っ払うために出かける前なのか、わからなかった。少佐がお休みのキスを両頬にしてくれて、彼はベンツから降りた。彼女の車が角を曲がって見えなくなる迄見送り、それからドアの前に立った。自動的に鍵が開いた気配がなかったので、自分で解錠した。
 リビングのソファの上でアスルが爆睡していた。”ヴェルデ・シエロ”らしくない無防備さだ。だがテオは嬉しかった。目を覚ましている時のアスルは気難しくて、テオに気を許してくれないのだが、酔っ払うと頭を撫で撫でしても目覚めない。テオの家の中で眠ると言うことは、信用してくれている証拠だ。
 テオはアスルの部屋のドアを開き、それからリビングに戻ってアスルをソファから引きずり下ろした。抱き上げるには重いので肩を貸す形で寝室迄引きずった。アスルの部屋となった客間は、誰も住んでいないかの様に殺風景だが、それでも監視役で出かける時のリュックや装備品が隅に置かれているし、棚には少しだけサッカー関係の書籍や考古学の文献がある。大きめのクッキーの空き缶もあり、どうやらそれが彼のコレクションの消しゴム入れの様だ。
 アスルをベッドの上に寝かせ、靴を脱がせてやった。薄い毛布をかけてやり、部屋を出た。彼のチームがサッカーの試合で勝ったのか負けたのか知らないが、アスルは気持ちよさそうに寝ている。テオは勝ったと思うことにして、シャワーを浴びて寝た。
 翌日は日曜日で、長屋の住人のうち3家族は習慣で教会へ出かけた。共用の庭を通して賑やかな話声が聞こえ、テオは目覚めた。
 リビングに出て、カーテンを開いた。朝日が眩しかった。キッチンでコーヒーを淹れていると、アスルが起きてきた。彼がテオより遅く起きるのは酔っ払った翌日だけだ。

「コーヒー飲むかい? それともクラマト飲むかい?」

 アスルはまだ辛そうな顔で椅子に座った。

「クラマトがあるなら頼む。」

 香辛料入りのトマトジュースを彼は一気に飲み干した。そしてテオが用意した簡単な朝食を文句を言わずに食べた。テオは彼の機嫌を損ねるかも知れないと思いつつ、尋ねた。

「試合結果はどうなった?」
「勝った。」

とだけアスルは答えた。祝杯の酒を飲み過ぎたらしい。
 
「アンドレは?」
「あいつは飯を食ったらさっさと帰りやがった。」

 ギャラガ少尉は先輩達の馬鹿騒ぎに付き合わなかったらしい。大統領警護隊のチームだから、ギャラガと同じ官舎組もいた筈だ。あまり人付き合いが得意でないギャラガは、大人数での宴会は好きでないようだ。何か理由を作って先に帰ったのだろう。

「ああ、そうだ・・・」

とアスルがスクランブルドエッグをフォークですくいながら言った。

「最近変なアメリカ人が出没するらしいぞ。」
「変なアメリカ人?」

 テオは何故かエルネスト・ゲイルを思い出してしまった。しかしアスルはゲイルとは全く別の人間の情報を得ていた。

「なんでも、大統領警護隊と仲良く付き合っている元アメリカ人を探しているとか言って、大統領府の警備にあたっている連中に話しかけていたそうだ。」

 テオはドキリとした。それって、俺とアリアナじゃないか? 

「勿論、大統領警護隊はあんたのことだとわかっているから、答えない。知らないと突っぱねるだけだ。」
「グラシャス。」
「用心しろよ。警備班は外務省に連絡したそうだ。」
「ロペス少佐にか?」
「スィ。亡命者を守るのはあの人の仕事だからな。それに奥方も元アメリカ人だ。」
「大袈裟にならなきゃ良いが・・・」

 テオは公園で出会ったロジャー・ウィッシャーを思い出した。

「俺が想像している人間と、その人探しをしていると自称する人間が同一人物なら、俺は既に彼に会っている。だから、もう警備班を悩ませることはない。」

 するとアスルの目が光った。警戒している。

「少佐にその報告をしたか?」

 アスルが言った少佐はケツァル少佐のことだ。テオは頷いた。

「俺がその人物と出会った時、彼女も俺と一緒だった。」

 アスルは気に入らなかった様だ。

「そのアメリカ人と関わらないでくれ。俺は大家がいなくなった家に住みたくないからな。」


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