午後になるとアスルも元気を取り戻し、共用の庭で長屋の子供達と遊んでいた。大人達は彼を「アルスト先生ちの軍人さん」と呼んでいた。名前を訊かれて、アスルは「キナだ。でもアスルで通っている」と言ったので、子供達は彼をアスルと呼んでいた。
テオは近所の人から夜のお惣菜をもらい、お返しに余っていたワインを進呈した。ワインと惣菜では釣り合わないが、今迄何度も惣菜をもらっていながらお返し出来なかったのだ。これでなんとか収支がつくだろう。
ケツァル少佐は日曜日をどう過ごしているだろうか。カタリナ・ステファンと買い物だろうか。それとも実家を訪問しているのか。養母のマリア・アルダ・ミゲールが新規の店をグラダ・シティ最大のショッピングモールに出して、店の経営を直接監督しているので、ずっとセルバ共和国にいるのだ。だから少佐は養母が国内にいる間はできる限りお淑やかに暮らしている。マリア・アルダ・ミゲールはカタリナ・ステファンが織る民芸品の小さなタペストリーが気に入って、店の装飾に使ったり、上得意への贈り物に使うので、カタリナへの仕事の注文が増えた。緑色を基調としたセルバ織と呼ばれる布だ。本当のセルバ織のプロはもっと大きなポンチョやカーペットの様な大きさの物を作るのだと謙遜しながらも、カタリナは喜んで仕事をしている、と少佐は語った。宝飾品のおまけや包装に使える大きさだから良いのだ、とマリア・アルダ・ミゲールは言い、決して娘の異母弟の母親だから仕事を発注するのではない、と強調した。
夕刻、テオは食材の買い物に近くの食料品店に出かけた。アスルに頼まれたメモを見ながら食材をカートに入れて、レジに行くと、3人ばかり並んでいた。列の後ろに付いて待っていると、「ハロー!」と声をかけられた。振り返ると、ロジャー・ウィッシャーがいた。彼も冷凍食品を入れたカートを押していた。
「偶然だな、この近所に住んでいるんですか?」
と訊いて来たので、テオはそうだと答えた。貴方は?と聞き返すと、
「この坂の下の方にあるアメリカンハウスに部屋を借りています。」
と返事が来た。アメリカンハウスはグラダ・シティで仕事をするアメリカ人で1、2ヶ月の短期滞在をする人々が集まって住んでいるアパートだ。特に大家はアメリカ人限定で貸した訳ではないが、自然とアメリカ人が集まってしまい、今では市内全体で呼び名が通ってしまっているが、本当の名前は他にある筈だ。昨日公園で出会った時、ウィッシャーは1ヶ月の滞在予定だと言っていたので、アメリカンハウスに部屋を借りてもおかしくない。英語が普通に話せるアパートなら安心出来るのだろう。
テオはウィッシャーの買い物を見た。冷凍食品のピザやスープだ。自宅に招いてやっても良さそうなシチュエーションだが、招きたくなかった。アスルだって嫌がるだろう。
「同居人がいて・・・」
とテオは言った。
「彼氏が嫉妬深いので客を呼べないんです。」
別に恋人の意味で言った訳ではなかったが、「男友達」をウィッシャーはある意味に捉えた様だ。意味深な笑みを浮かべて、そうですか、と言った。テオは、ではまた、と言い、支払いを済ませて先に店を出た。真っ直ぐ帰った。
男の恋人がいるのかどうか、昨日のデート現場を見ればわかるだろう。そしてさっきの会話をアスルが聞いたら、絶対に機嫌を損ねるだろうと確信した。
帰宅すると、アスルが待ち構えていて、紙袋を受け取ってすぐにキッチンに入った。テオはその背中に言った。
「例の不審なアメリカ人が、アメリカンハウスに住んでる。さっき店で出会った。」
アスルが背中を向けたままで尋ねた。
「つけられたのか?」
「気をつけたつもりだ。それに向こうは冷凍食品を買っていた。」
フンと言って、アスルは鍋に水を入れ始めた。
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