2022/01/25

第5部 西の海     24

 テオが外に出ると、暗がりから声をかけられた。

「ドクトル・アルスト、私はパエス中尉です。そちらの道は厨房棟の横を通ります。まだキロス中佐が食事中なので、こちらへ迂回して下さい。」

 目を凝らして見ると、男が一人立っていた。昼間会った時パエス中尉は座っていたし、じっくり顔を見た訳でもなかったので本人なのか判断出来なかったが、テオはそちらへ足を向けた。そばに来た彼に、パエスが言った。

「素直なのですね。私を警戒しないのですか?」
「ここで俺の名前を知っている人はそんなにいませんからね。」

 パエスは腕を振って歩こうと合図した。並んで静かに村の中を海に向かって下った。

「今夜は中佐の食が進まなくて、ステファン大尉もラバル少尉もフリータ少尉もまだ厨房棟から出られません。中佐が退席しないことには、彼等の食事も終わらないのです。」
「貴方は?」
「ガルソン大尉と私は家庭持ちなので自宅で食べます。ですから、私達は帰宅したことになっています。お話はガルソンと私からすることになります。」

 太平洋警備室は灯りが灯っていた。宿直があるので、夜間も照明は点けているとパエス中尉が言った。

「今夜の宿直当番はラバルなのですが、中佐はそれに気がついていません。だから今の時間に照明が点いていても気になさらない。」

 オフィスの中は昼間と違って空気が冷たかった。海からの夜風が窓から吹き込んでいた。ガルソン大尉は窓辺で真っ暗な海を眺めていたが、テオが入室すると、「どこでも自由に」と椅子を勧めた。それでテオはステファン大尉の席に座った。ガルソンとパエスもそれぞれ自席に座った。

「昼間の報告でステファン大尉にここへ来た本当の理由を尋ねました。」

とガルソンが言った。

「本当の理由?」
「スィ。普通、指導師の試しに通った隊員は本部の厨房で半年修行します。しかし彼はいきなりこちらへ派遣された。我々は彼が来ると本部から聞かされた時に、覚悟を決めていました。」

 彼は溜め息をついた。

「本部が不審を抱くのも時間の問題だと思っていました。キロス中佐は、貴方が考えておられる通り、心の病に罹っています。仕事への情熱を失い、日中はオフィスでただ座っておられるだけです。本部への定時報告は、私が彼女の動画を作成し、毎日少しずつ変化を加えて流していました。」
「本部を騙していたのですか?」

 テオはびっくりした。大統領警護隊の規則は知らないが、これはどんな企業でも軍隊でも違反行為だろう。ガルソンは再び溜め息をついた。

「キロス中佐は素晴らしい指揮官でした。気の力が大きく、技も長けていました。そして部下にも住民にも人望がありました。サン・セレスト村の住民もポルト・マロンの労働者も彼女を敬愛していたのです。だから、我々は彼女に回復して欲しかった。本部が彼女の状態を知ったら、きっとグラダ・シティに召喚して国防省病院に閉じ込めてしまうでしょう。そして新しい指揮官が送られて来る。私達はそれを避けたかったのです。しかし・・・やはり本部を騙し切れるものではない。」

 パエス中尉が言った。

「処分を受けるのはガルソン大尉と私の2人で留めて頂きたい、とステファン大尉に告げました。彼はもう暫く様子を観察してから本部に報告すると言いましたが、恐らく中佐の病は治らないでしょう。ラバルとフレータは地元出身ですから、ここに残してもらえるよう司令部に頼むつもりです。新しい指揮官にこの土地の特性を教える人間が必要ですから。」

 テオは2人を見比べた。どちらも感情を表さない先住民らしい顔で彼を見返した。テオは言った。

「話はわかりました。でも、貴方達は家族がいるでしょう? 処罰されたら彼等はどうなりますか?」

 ガルソンが言った。

「妻はアカチャ族です。身内でなんとかしてくれるでしょう。」
「そんな・・・」

 テオは言った。

「家族の為に最善の策を考えるべきです。中佐は一体、いつから今の状態になったのです?」


 

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