2022/01/22

第5部 西の海     10

  サン・セレスト村の診療所は女性医師マリア・センディーノと2人の地元の女性が看護師として働いていた。センディーノは白人で、隣国の太平洋岸の町の出身だったが、結婚してセルバに来たのだと言った。同じく医師だった夫は数年前に亡くなった。エル・ティティの警察署長ゴンザレスの妻子の命を奪ったのと同じ疫病だった。患者から罹患して、治療が間に合わず亡くなったのだとマリアは言った。イサベル・ガルドスが医学部生だと知ると、喜んだ。彼女の子供もグラダ大学で医師を目指して学んでいるのだが、まだ地元に帰って来ないのだと言う。
 診療所はセンディーノ家が経営しているが、村で唯一の医療機関と言うこともあり、港を利用している鉱山会社各社から少しずつ援助が出ているのだと言った。だから僻地の診療ではあるがレントゲン施設があり、簡単な手術を行える部屋もあった。特にアンゲルス鉱石は社長がミカエル・アンゲルスからアントニオ・バルデスに代替わりしてから援助を増やしてくれていると、マリアは感謝していた。テオはバルデスにマフィアのドンの様な印象を持っていたが、考えるとマフィアは地元を大切にする。バルデスも地元民にはそれなりに優しいのだ。

「アカチャ族はサン・セレスト村の構成員の9割を占めています。私は東のアケチャ族を知りませんが、内務省から貴方の調査に協力するよう要請が来ましたので、お手伝いします。」
「頬の内側の細胞を採るだけですから、健康診断の様な血液採取はしません。ただ、採取の目的をアカチャ族が納得してくれるかどうか、自信がないのです。」

 テオは正直に言った。先住民保護の予算を削るための検査だ。内務大臣は東西の海岸地帯に住む2つの先住民の集団が同じ祖先を持つと遺伝子レベルで証明して、助成金対象を一グループだけにしようと企んでいる。

「遺伝子が同じでも文化が別なら別部族ですよね。」

 アーロン・カタラーニは大臣の考え方に不満を覚えていた。マリアも頷いた。

「別部族だと言う結果が出るよう祈って検査しましょう。」

 宿舎は診療所から徒歩3分の距離にある空き家だった。マリアと2人の看護師で前日に掃除してくれたので、テーブルや椅子はすぐに使えた。ベッドは1台しかなかったので、それを小さめの部屋に移動させ、女性のガルドスに使わせることにして、テオとカタラーニは大きい方の寝室で寝袋で寝ることにした。
 セルバ共和国七不思議の一つ、どんなに辺鄙な土地でも必ず井戸がある、を裏切らず、この空き家にも井戸が裏手にあり、5、6軒で共同で使用していた。テオは炊事当番を決めてキッチンの壁に貼り出した。それから3人で村の食料品店に出かけて買い出しをした。アカチャ族は純血種の先住民で年配の女性は伝統的な襞の多いスカートを履いていたが、働ける世代や若い人は都会と変わらぬ服装だった。言葉もスペイン語で、男達は港で働いていた。女性達は村より標高の高い土地に作られた畑で野菜やトウモロコシを作っていた。もう少し南へ行けばバナナ畑があると言う。
 そう言えば往路で山を大きく迂回する様なポイントがあったが、あの辺りがバナナ畑だった、と思ったテオは、そこが以前通ったことがある道だったと思い出した。セルバ共和国に亡命する前、彼はアメリカ政府からの束縛から逃れようとエル・ティティに逃げたことがあった。その時、反政府ゲリラに誘拐され、ケツァル少佐とロホ、ステファンに救出されたのだ。ゲリラに重傷を負わされたロホを背負ってジャングルを走り、ティティオワ山の火口付近から生まれて初めて”空間通路”を抜けて出た場所が、あの道路側のバナナ畑だった。

 もう2年になるのか・・・

 感慨深いものがあった。あれは辛い事件だったが、お陰で大統領警護隊文化保護担当部との仲が深まった。信頼と信用を勝ち得たのだ。
 夕食の時、細胞の採取方法を話し合った。村の住人全員の細胞を採る必要はない。若者から高齢者まで、各世代毎に4名ずつ細胞を採っていこう。診療所に来る人の細胞は、ガルドスに任せる。ガルドスは医学生だから、マリアの手伝いが出来る。テオとカタラーニは港で港湾労働者から細胞を集める。これはアンゲルス鉱石のバルデスに協力を依頼してあるので、従業員から採取する。バルデスは内務省から話を通してもらっているので従ってくれる筈だ。
 上手く作業が運べば週半ばで終了するだろう。

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