2022/01/09

第4部 花の風     15

  梱包されたミイラと言うのは、結構場所を取る荷物になった。犯罪被害者等の鑑定の場合、医学部や病院で解剖して採取した検体を遺伝子工学教室に送って来るのだが、ミイラの場合はどの部分の細胞を採るのか遺伝子学者が決めるので、テオの研究室で梱包を解くことになる。テオと彼の教室の学生達は、荷物を運んできたケサダ教授と教授の研究室の学生達が梱包を解くのを取り巻いて見学した。教授は埃が飛散しないよう、発掘現場で用いる雨の日対策用ビニルテントを設置し、その中に荷物を置いた。テオ達は透明のテントの外側にいた。テントの中は蒸し風呂並みに暑いだろうに、考古学教室の学生達は繋ぎの作業着に帽子とマスク、手袋を着用して作業した。大事な弟子達が埃を吸い込まないよう、教授が彼等に装備させたのだ。アンゲルス鉱石の作業員達が包んだキャンバス生地を剥がし、ボロボロになった崩れる寸前の古い布を慎重に剥いでいく。取った布も研究資料なので、ビニル袋に収納する係もいた。
 やがてミイラが姿を現わすと、その異様なポーズにテオは思わず目を見張った。学生達もちょっとざわついた。考古学教室の学生達も作業の手を止めて、戸惑った様子で教授を見た。
 ケサダ教授がミイラを手袋を嵌めた手で掴み、その顔を見える様に動かした。扱い慣れている手つきだが、マスクの上に見えている目は厳しかった。
 テオはミイラをビニル越しに眺めた。亡くなって埋葬されたセルバ人のミイラは普通三角座りの姿勢で座っている。しかし、テントの中で梱包を解かれたミイラは地面に四つん這いになった姿勢で、片手を前に伸ばしていた。まるで救いを求めているポーズだ。その顔は口を大きく開き、苦悶の叫びを上げているかの様だ。髪の毛は赤かった。着衣は崩れそうなボロ布になっていたが、西洋風の衣服に見えた。
 ケサダ教授は学生達にテントから出る様に指図した。その際に、彼等にすぐ防護装備を解いて体を洗うように言いつけた。そしてテオを呼んだ。テオがテントの入り口に行くと、彼は憲兵隊を呼ぶよう要請した。テオはミイラを見た。そして500年前にミイラになった人が身につけている筈がない物を目撃した。彼も遺伝子工学教室の学生達を振り返って宣言した。

「今日の作業はここまでだ。聞いた通り、これから憲兵隊を呼ばなければならない。2、3人残って憲兵が来たら、ここへ案内して欲しい。」

 そして彼は携帯電話を出した。憲兵隊本部に繋がると彼は言った。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学教室のテオドール・アルスト准教授です。オルガ・グランデから送られて来たミイラを研究する為に、考古学部が運び込んで梱包を解いたのですが、そのミイラがどうも新しいのです。」
ーーミイラが新しい?
「多分この半世紀以内のものです。現代人のものです。」
ーーそんなことがすぐわかったのですか?
「スィ。腕時計をはめていますから。」

 憲兵隊は出動を渋った様子だったが、テオが憲兵隊が来ないのなら大統領警護隊を呼ぶと言ったら、慌てて「すぐに人を遣る」と言って切った。
 テントの中ではケサダ教授がオルガ・グランデのアントニオ・バルデスに電話を掛けていた。テオが憲兵隊との会話を終えた時、教授はアンゲルス鉱石の社長に苦情を言い立てていた。

「貴方は考古学的調査が必要なミイラと、最近死んだ人間のミイラの区別もつかないのですか? チタンのデンタルインプラント治療を行い、腕時計をはめた人間が500年前に存在したと思っているのですか?」

 ケサダ教授はバルデスが厄介な死体をこちらへ押しつけたと決めつけた。

「他にもミイラはあったのでしょう? 何故それをこっちへ送らないのです? 新しい死体はそちらで処理して欲しかった。」

 なんだか問題点がテオとケサダ教授ではズレている感じがしないでもなかったが、テオはアントニオ・バルデスが故意に新しい死体を選んで送りつけたと言うケサダ教授の考えを支持したかった。 ケサダ教授の電話からバルデスの声が聞こえた。

ーー苦しんでいる姿のミイラが鉱夫達を怯えさせたんですよ、教授! だから送ったんだ。時計は兎に角、インプラントなんか知りませんよ!

 教授が怒鳴り返した。

「すぐに別のミイラを送って来なさい。さもないと、ここにあるミイラを送り返します。鑑定費用も全部そちらに請求しますからね!」

 教授は声は怒っているが、感情的になっていない、とテオはわかっていた。フィデル・ケサダは”ヴェルデ・シエロ”だ。本気で腹を立てれば室温が下がる。それだけは、はっきりとテオは知っていた。


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