2022/01/22

第5部 西の海     13

  スープとジャガイモの茹でたものだけの質素な夕食が出来上がると、フレータ少尉は軽く気を発した。食事の合図だ。しかし食堂に現れたのはキロス中佐とラバル少尉だけだった。ステファンは食器にスープとジャガイモを入れてトレイに載せ、彼等に渡した。フレータ少尉と己の分も盛り付け、各自好きな量だけパンを取って1台しかない幅の広いテーブルを取り囲む形で座った。本部の食堂では大所帯で常に誰かが交代で勤務しているので、席に着いたら勝手に食べるのだが、太平洋警備室は4人だけだ。指揮官のキロス中佐がフォークとスプーンを手に取ると、それが合図の様にラバルとフレータも食べ始めたので、ステファンも食事に手を付けた。食事中は静かにすると言うのは本部でも同じだが、人数が極端に少ないので実に静かだ。人が動く音も食器の音も椅子を引く音も聞こえない。まるで地下神殿の指導師の試しが続いている様な気分になったステファンは、少し躊躇ったが思い切って声を出した。

「ガルソン大尉とパエス中尉は後から食べるのですか?」

 するとラバル少尉が手を止めた。

「彼等は家族がいるから、家に帰って食べる。大尉はそのまま家で休むが、中尉は今夜の宿直当番だから、1時間後に戻って来る。貴方も来週から宿直当番のルーティンに入れるが、構わないでしょうな?」
「勿論。」

 ステファンは頷いた。

「夜間の港の見回りとかするのですか?」

 するとラバル少尉がキョトンとした。

「それは昼間私がしている。夜は陸軍がパトロールをしているから、我々はオフィスで朝まで電話番をする。陸軍や沿岸警備隊から出動要請があれば出かけるだけだ。」
「津波や高潮の時ぐらいです。」

とフレータが付け加えた。キロス中佐は部下達の会話に一向に関心を示さず、一人黙々と食べていた。

「宿舎の説明は受けられたのかな?」

とラバルに訊かれて、ステファンは「ノ」と答えた。

「では、ここの後片付けが終わったら、案内しよう。荷物はオフィスに置いたままでしたな?」

 その後も静かな食事が続き、最後にフレータ少尉が出したコーヒーを飲むと、キロス中佐は「おやすみ」と呟いて出て行った。3人の部下は立ち上がって彼女を敬礼で送ったが、いかにも形だけの敬意にステファンには思えた。
 ステファンはフレータを座らせたまま、後片付けを引き受けた。ラバル少尉とフレータ少尉は厨房で鍋や皿を洗っている大尉を眺めた。そしてラバルが呟く様に言った。

「今から張り切ると、半月も経たないうちに心が折れるぞ。」

 ステファンが振り向くと、彼は続けた。

「グラダ・シティにいる時は、制服を着ている時は神様扱い、私服の時は市民の中に溶け込んでいられる。しかし、ここじゃ直ぐに顔を覚えられる。私服で出かけても、何者かわかってしまう。何処へ行こうが怖がられる。友達なんて出来やしない。独りぼっちだ。入隊するんじゃなかったと後悔するばかりだ。」

 ステファンは手をタオルで拭いて、カウンターの外に出た。

「私はオルガ・グランデのスラムで育ったんです。掏摸やかっぱらいをして生活していました。そうでもしなければ母親を街角に立たせることになってしまう貧しさでしたから。自己紹介の時に言った様に父は私が幼児の時に死んだ。母方の祖父も私が5歳の時に亡くなった。我が家の男手は私だけだったのです。だから入隊して、給料をもらえる様になって家族はかなり楽になりました。神様扱いなんてされたことはないし、メスティーソだから本部でも純血種達から馬鹿にされ続けました。独りぼっちなんて平気です。仕事をもらえるなら、どんな任地でも大歓迎です。」

 ここの連中は大統領警護隊であることを後悔しているのか? ステファンは心の奥で困惑を覚えた。後悔しているから覇気がないのか? 

「私は今の仕事に満足していますよ。」

とフレータが言った。

「少なくとも、戦闘から遠い場所ですから。」
「君は女だからな。」

とラバルが鼻先で笑った。フレータはムッとしたが、言い返さなかった。
 ラバルが立ち上がった。

「後片付けが終わりましたな。では、宿舎へ案内しよう。男と女で別の家だ。中佐とフレータは女の家、大尉と私は男の家です。」

 男女で別の家に寝泊まりするのはカイナ族の風習だ、とステファンは気がついた。そう言えばフレータは純血種のカイナ族でラバルはカイナとマスケゴのミックスだ。



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