2022/01/19

第5部 西の海     4

  ケサダ教授の申請書はロホが認可署名を行い、あっさりと見学許可が出た。遺跡を掘らないし、監視の必要がないから大統領警護隊は立ち入り許可だけ出す。教授は署名が入った申請書を受け取り、隣の文化財・遺跡担当課へ行き、立ち入り許可パスを受け取り、帰って行った。
 デネロス少尉がロホの目を見た。”心話”で話しかけてきた。

ーー500年前の”ティエラ”の墓所を教授がわざわざ見に行く必要がありますか?

 ロホは答えた。

ーー万が一にも”シエロ”が混ざっていないか、確認に行かれるんだ。

 成る程、とデネロスは納得した。
 ロホは教授がクシャミの度に発した衝撃波が気になったが、部下達は2人共気がついていない。これは純血種とメスティーソの差でもあるのだろうが、ロホは感じた気の力が気になって仕方がなかった。だからケツァル少佐が戻って来た時に、彼女に”心話”で先刻の状況を報告した。しかし少佐はクスッと笑っただけだった。

ーー香水でアレルギーを発症されるとは、デリケートな方ですね。

 彼女はそれっきりロホを相手にせずに己の机に着くと仕事を始めた。ロホはもやもやしたものを感じた。上官は情報をセイブするのが得意だ。隠し事をされている気配がないからこそ、却って彼は気になった。
 昼休み、彼はテオドール・アルストにメールを送った。

ーーシエスタに訪問して良いですか?

 返事は速攻で来た。

ーーO K!

 ロホはカフェで簡単に昼食を食べてからすぐに大学に出かけた。徒歩10分の距離だ。大学のカフェに行くと、すぐにテオを見つけた。ただ、運が悪いことにケサダ教授が一緒だった。ロホが近づいた時、2人は談笑中だった。どうやら講義の時の学生達の奇妙な癖の報告をし合っている様子で、互いに相手の話に相槌を打ったりクスクス笑ったりしていた。
 ロホが来たことに気づくと、教授が「ヤァ」と声を掛け、テオも「オーラ」と言って、空いている椅子を指した。ロホは2人の年長者に挨拶をして座った。テオも教授もまだ昼食の途中で、すぐに終わりそうになかった。だから、テオが、

「君がここへ来るなんて珍しいじゃないか。どんな用件だ?」

と尋ねた時、彼は腹を括った。

「今朝、ケサダ教授が文化保護担当部に来られた時、かなりクシャミをされていましたので、何のアレルギーなのか気になりまして・・・」

 ケサダがロホを見た。テオはケサダを見た。

「アレルギーがあるのですか?」

 ケサダ教授はテオに向き直った。

「ないと思っていたのですが、今朝の客が強烈な匂いの香水をつけていまして、それを嗅いだ後に学生数名と私が、クシャミが止まらなくなって困ったのです。文化・教育省に行く頃には少し治ったのですが、それでも4階にいる時も数回。ああ、今は治りましたよ。」
「どんな香水でした?」
「甘い・・・薔薇に似た香りでしたが、私が薔薇のアレルギーを持っている筈はありません。家族が薔薇を庭に植えていますからね。」
「現物がないとアレルゲンの特定が出来ませんね。その人はまた来ますか?」
「どうでしょう? 雑誌の取材でしたから、もう来ないと思いますよ。」

 教授はポケットからパスケースを取り出し、そこに挟んであった名刺を出してテオに渡した。テオは文化系の名前を名乗るその雑誌を知らなかった。個人が出版社を立ち上げて出す類のものだろう。自然科学の分野でも結構そう言う人が来るのだ。遺伝子の方面では少ないが環境科学や気象学の先生のところでよく見かけた。
 ケサダ教授がロホに視線を戻した。

「私のクシャミを心配して来てくれたのですか?」

 教え子だが相手は立派な社会人だから、丁寧に接する。卒業生に恩師風を吹かせていつまでも威張っている教授もいるので、テオはケサダ教授やウリベ教授の様な気さくな人を見習いたいと思った。
 ロホは困った。ケツァル少佐に相手にされなかった事象をここで語って良いものだろうか。彼は意を決して、言った。

「”心話”を許可願えませんか?」

 テオはケサダ教授が意外そうな表情をするのを見た。そしてロホがさっきから戸惑っていることも感じていた。ロホはテオに用事があるのではなく、教授に何か訊ねたかったのだ。教授が頷いた。

「スィ。」

 ”心話”は一瞬で終わった。教授はちょっと苦笑した様に見えた。

「それは吃逆の様なものだな。」

と彼は呟いた。テオが彼を見たので、教授が言葉にして説明した。

「私がクシャミをしたら大きな気の衝撃波を感じた、とアルファットが言ったんです。」

 教授はロホを渾名ではなく真の本名で呼んだ。大学で一度もその真の名を使ったことがなかったロホは、緊張した。ケサダ教授は”砂の民”だと考えられている。彼等は一族の隅々まで情報を収集し、些細なことも知っている。教授は彼に静かに穏やかに警告したのだ。

 私はお前の秘密を知っている。だからお前も私の秘密を口外するな。

「クシャミには気をつけて下さい。」

 テオが笑顔で注意を与えた。

「一瞬無防備になりますからね。」


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第11部  紅い水晶     24

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