2022/01/07

第4部 花の風     11

  テオは研究室に戻ると、ロジャー・ウィッシャーの頬内側の細胞を分析器にかけた。それから翌日の授業の準備をした。昨シーズン、火曜日は午後の講義だけだったが、受け持つ学年が増えたので、午前にも講義がある。それに院生の助手が2人付いた。授業の準備を手伝ってくれるが、秘密の研究をした時はちょっと障害になる存在だ。だがウィッシャーのDNA 検査は秘密にする必要がなかった。行方不明の肉親を探している外国人の細胞だと言うと、助手達は機械のお守りを引き受けてくれた。彼等はテオが驚異的な速さで遺伝子マップを解読していく場面に立ち会うのが嬉しくて堪らないのだ。
 ケツァル少佐の個人的興味で依頼されていたフィデル・ケサダ教授の細胞はまだ手に入れていない。しかし、教授の出生の秘密を知ってしまったので、少佐は興味を失ってしまい、依頼は立ち消えになった。テオも危険を冒してまで、現代最強と言われる”ヴェルデ・シエロ”の細胞を無理に採りたくなかった。
 そのケサダ教授はテオの心を知ってか知らずか、新たな動物のミイラを学生に託してテオの研究室に送り込んで来た。今度は大型の動物で、リャマと思われた。リャマはアンデスの動物だ。そのミイラが中米の東海岸、ジャングルに近い場所で出土した。考古学者は東海岸に住んでいた部族が南米の何処と交易していたのか知りたいのだ。テオは分析作業を助手に任せた。ミイラのどの部分から使える細胞を取り出せるか、助手の腕試しだ。但し、貴重なミイラを傷だらけにするなと事前に注意を与えておいた。
 夕刻になると、研究室を片付け、助手を帰した。分析器には仕事をさせておき、ドアを施錠してテオは文化・教育省の駐車場へ行った。出張から戻ったロホとアスル、ギャラガと夕食に出かけた。ケツァル少佐は文教大臣と各課の責任者達との夕食会と言う名の「仕事」だ。きっとドレス姿なのだろう、と想像しつつ、バルへ行った。
 カウンターで立ち飲み立ち食いしながら、テオはロジャー・ウィッシャーが大学に現れた話を語った。預かった写真を出して見せると、ロホが「おや?」と言う顔をした。アスルも戸惑った様な表情を見せた。ギャラガだけが「ふーん」と言う興味なさそうな顔で写真を見た。その顔をロホとアスルが見た。だからテオもギャラガを見て、やっと写真の中の男が誰に似ているのかわかった。
 ギャラガが先輩達の視線を感じて顔を上げた。

「何ですか?」

 後輩に対して遠慮と言うものを持たないアスルが言った。

「お前は写真の男と似ている、と思った。」

 ロホとテオも頷いたので、ギャラガは「でも」と言った。

「私の父親はギャラガです。ウィッシャーではありません。」
「だがお前の出生届は何処にも出ていなかっただろ?」

とアスルは容赦なく詰めた。アンドレ・ギャラガは物心がつく前に父親を亡くし(と母親が言ったそうだ。)、母親からはネグレクトされた。小学校も行かせてもらえなかった。軍隊に入ったのも、母親の死後、生きる為に彼自身が年齢を誤魔化して入隊したのだ。その時、どうやら陸軍の入隊検査がいい加減だったらしく、大統領警護隊にスカウトされて、初めて出生届が出ていないことが判明した。司令部はエステベス大佐の指示で彼の出生登録を行い、ギャラガはセルバ人であるにも関わらず、16歳になって初めて正式にセルバ国民となったのだ。彼の出生届の両親の欄に書かれている名前は、司令部が彼自身から聞き取った名前だった。それが真実の両親の名前なのかどうか、誰も知らないのだ。
 ギャラガが意地になって言った。

「私はそんな男を知りません。第一、アメリカに妻子がいるのにセルバでも家族を作るなんて・・・」

 テオは苦笑した。以前もそんな男と知り合った。セルバに妻子がいるのにアメリカでも女性に子供を産ませた男がいて、その息子と大統領警護隊は知り合ったのだ。

「アンドレ、気になるなら、君の遺伝子検査をしてやるぞ。ロジャー・ウィッシャーと兄弟かどうか判定してみれば良いんだ。」
「結構です。」

 ギャラガが珍しく反抗的になった。

「私は私です。ルーツなんか知りたくもありません。」
「でも君のサンプルは持っている。」

 ロホが言った。

「検査費用はいくらだったかな?」


 

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