2022/01/21

第5部 西の海     8

  テオは”ヴェルデ・ティエラ”と呼ばれるセルバ先住民の遺伝子をこれまで細かく分析したことがなかった。漠然と”ヴェルデ・シエロ”と区別する為に分析するだけだった。”シエロ”達が”ティエラ”と呼ぶ場合は、”シエロ”でない人間を意味する。つまり先住民も白人もアフリカ系もアジア系もアラブ系も全部”ティエラ”だ。しかしセルバ国民が”ティエラ”と言う場合は先住民を指す。これがややこしい。”シエロ”の人口が少ないので、後者が”ティエラ”だと頭に入れておけば良いのだが、テオの親しい友人は”シエロ”なので彼は時々混乱した。
 内務大臣パルトロメ・イグレシアスがテオに依頼したのは、東海岸地域に住む”ヴェルデ・ティエラ”と太平洋岸地域に住む”ヴェルデ・ティエラ”が同じ一族なのか調べてくれと言うものだった。東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ先祖を持つ部族なのか、知りたいのだと言う。その理由は政治的次元のもので、言語が微妙に異なる両部族が同じ形態の祭礼を行ったり、共通の神話を持っていることなどから、居住区を管理する役人を1人だけにするか2人にするか、大臣は悩んでいるのだ。管轄する部署が一つなら予算を組み易い。テオは先住民を管理する部署を一つだけにして、担当者を部族毎に任命すれば済むことだろうと思ったが、どうやら同じ祖先を持つと思われる2つの部族を1つと見做して保護政策の予算を削ろうとしている様だ。役人の人件費の問題もあるのだろう。イグレシアス家は白人なので、先住民対策が時に厳しく、度々抗議のデモが行われる。テオはパルトロメ・イグレシアスに個人的な感情を持っていないが、亡命の際には色々便宜を図ってもらったし、保護してくれたので、取り敢えず調査の依頼を引き受けた。
 大学に1週間の予定で出張届けを出し、研究室の院生を2名連れて行くことにした。バイト代は雀の涙ほどしか出せないが、交通費と宿泊費は大学から出してもらえるよう交渉して成功したし、論文の課題に使っても良いと言う条件で男女2名が名乗り出てくれた。アーロン・カタラーニと言うイタリア系のメスティーソ男性とイサベル・ガルドスと言うスペイン系メスティーソ女性だ。ガルドスは医学部の学生で遺伝子の勉強をするために生物学部のテオの研究室に通っていた。アリアナ・アズボーンの弟子でもある。先住民に多い筋肉疲労から来る衰弱死を遺伝子の分析で対策を考えたいのだと言う。だから鉱山労働者が多い西海岸に行きたいのだ。
 週明けの月曜日、テオはエル・ティティの家からバスでオルガ・グランデに昼過ぎに到着して、空港でセルバ航空の定期便(1時間遅れた)でやって来た2人の若者と合流した。海辺のサン・セレスト村に診療所があり、そこの医師が調査に協力してくれると言うので、村にある空き家を宿舎として用意してくれている筈だ。そこへ行く前に装備品のチェックをして足りない物を購入してから村へ向かうバスに乗ろうと話し合っていると、声をかけて来た男がいた。

「オーラ、テオ! どうして貴方がここに?」

 振り返ると、カルロ・ステファン大尉がリュックを背負って立っていた。勿論軍服にベレー帽だ。髭も生やしているから、チェ・ゲバラが立っている様に見えた。ゲバラより顔の輪郭に少し丸みがあったのだが、1ヶ月も地下神殿に篭る指導師の試しの直後なのでほっそりとなって、ますますゲバラに似てきた。
 凄い、本物のエル・パハロ・ヴェルデだ!と目を丸くしている2人の院生を置いて、テオは親友と握手を交わした。

「試験に合格したんだってな! おめでとう!!」
「グラシャス!」

 ハグは好まない”ヴェルデ・シエロ”だが、ステファンはテオのハグを素直に受け容れた。彼は以前より細く見えたにも関わらず、筋肉はさらにしっかり逞しくなっているとテオの手の感触が伝えた。
 体を離してから、ステファンはもう一度最初の質問を繰り返した。

「ここで学生を連れて何をなさっているのです?」

 テオは院生達を振り返った。

「国務大臣の依頼で、先住民アカチャ族の遺伝子サンプルを採取しに来たんだ。東のアケチャ族と同じ部族であることを証明して欲しいらしい。政治的理由だよ。」

 ステファンが苦笑した。

「遺伝子が同じでも部族は違うと思いますがね。」
「大臣が分析結果を見てどう判断するかは、俺たちの知ったこっちゃないさ。」

 テオが院生達にウィンクして見せると、アーロン・カタラーニが同意した。イサベル・ガルドスは苦笑しただけだ。

「アカチャ族の村へ行かれると言うことは、ポルト・マロンへ行かれるのですね?」
「そうだったかな?」

 テオが考え込むと、ガルドスが笑った。

「先生は地名を覚えるのが下手ですね。 海辺の村はサン・セレストしかありませんよ。」
「だが、ポルト・マロンは鉱石の積み出し港だろう?」
「でも集落はそこだけです。村の外れにポルト・マロン港があるのです。」

 ステファンも「スィ」と言った。

「沿岸警備隊の基地も、陸軍水上部隊も大統領警護隊太平洋警備室も、サン・セレスト村にあります。食料品店も郵便局も診療所もサン・セレスト村にあります。」

 テオはオクタカスにあった先住民の集落に似た時代遅れの村を想像していたのだが、どうやら目的地は町の様相をしているらしかった。



 

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