2022/01/24

第5部 西の海     22

  宿舎にしている空き家で3人で昼食を取っていると、ステファン大尉から携帯に電話が掛かってきた。軍関係の施設が3つもあるし、それなりに大きな船舶が出入りする港湾施設もあるので、サン・セレスト村は携帯電話が使えるのだ。セルバ式ハラールを習いたいのであれば、これから訪問しても良いですか、と言う内容だったので、テオは独断で構わないと答えた。電話を切ってから、院生達に昼寝をしたい人はしてもらって構わないと言うと、2人共興味津々で講習会に参加すると言った。
 半時間後にステファン大尉はブリサ・フレータ少尉と一緒に野菜とソーセージを持ってやって来た。フレータ少尉はカイナ族だと聞いて、テオはふと友人の母親の出自に疑惑がある件を思い出した。純血種のカイナ族だ。テオはつい”ヴェルデ・シエロ”のDNAコレクションに彼女を加えたい衝動に駆られたが、自重した。同じ純血種でもアカチャ族の女性達に比べると垢抜けして見えるのは、フレータが一度は大都会の本部で暮らした人だからだろう。
 カタラーニが携帯で動画を撮影して良いかと訊くと、フレータ少尉は戸惑ってステファンを見た。後輩だが彼は上官なのだ。ステファンは顔を撮影しないでくれ、と言った。音声の録音は構わないが、動画は手の動きだけだ、と制限をかけたのだ。
 最初にステファン大尉がソーセージを相手に儀式を行った。ソーセージは製造される前段階、つまり家畜を屠殺する場面でお祓いを受けるべきなのだと説明をしてから、彼はソーセージの上で手を波を表現するかの様に動かし、呪文の様な先住民言語で祈りを捧げた。次にフレータ少尉が野菜を相手に似たような動作でお祓いを行ったが、祈りの言葉が微妙に違っていた。
 一連の儀式が終わると、ステファン大尉が説明した。彼等が先程演じて見せたのは正式なアカチャ族の儀式で、大統領警護隊のものではないこと、実際のアカチャ族の家庭では、もっと簡略化された儀式が行われることを話した。そして次にフレータ少尉が実際に行われている儀式を実演して見せた。手の動きは同じだったが、呪文が短く簡潔になっていた。終わると、この家に来て初めてフレータが笑顔を見せた。

「簡単でしょう? 少し練習すれば明日からでも使えますよ。」

 笑うと若く見える、とテオは印象を持った。

「グラシャス。 コーヒーを淹れようと思うが、時間はあるかい?」
「スィ。半時間あります。」

 カタラーニが素早く動いてコーヒーを作った。ガルドスが大統領警護隊の2人に質問した。

「どちらの部族のご出身ですか?」

 ステファンが無難に答えた。

「私はオルガ・グランデ出身で、色々な血が混ざったメスティーソです。明確に所属する部族はありません。」

 フレータ少尉も慣れているのだろう、彼女もオルガ・グランデ近郊の村の生まれだと言った。普通、その答え方は、オルガ族と言う人口が多い”ヴェルデ・ティエラ”の部族だと言う意味を与える。だからガルドスはあっさり納得したが、テオはフレータが実際は出身部族について何もヒントをガルドスに与えていないことを知っていた。
 儀式について少し質問が出たが、ステファンとフレータはアカチャ族に関する答えしか言わなかった。
 シエスタの時間が終わり、テオは2人の大統領警護隊隊員を送りながら外に出た。太平洋警備室は歩いても数分の距離だ。

「急な申し出に応えてくれて有り難う。」

 彼は続けて質問を出した。

「キロス中佐は鬱病なのですか?」

 この質問はフレータ少尉に向けたのだ。フレータが足を止めた。

「何のことでしょう?」
「ちょっと噂を耳にしたのです。ポルト・マロンでね。」

 決してステファンから聞いたのではない、とテオは強調する為にそう言った。

「3年前迄は元気に勤務されていた中佐が、ある時期から急に引き篭もりになってしまったそうで、陸軍水上部隊では心配していますよ。貴方方もドクトラ・センディーノからお薬を処方してもらって中佐に飲んでもらっているのでしょう?」

 フレータ少尉は怒ったような不機嫌な顔になって海の方を見た。

「中佐はご病気ではありません。」
「しかし鬱の薬を処方されていると、俺は聞きましたが?」

 ステファン大尉が、ドクトル!とテオを止めた。個人のプライバシーの問題だ、と彼は言おうとした。しかし、テオはやめなかった。

「精神状態に問題がある”ヴェルデ・シエロ”は危険な存在ではないのか?」

 フレータ少尉が雷に打たれたかの様に、ビクッとして振り向いた。彼女はテオを睨みつけ、それからステファンに怒りの視線を向けた。ステファン大尉は仕方なく打ち明けた。

「この人は、大統領警護隊文化保護担当部と常に行動を共にされている特別な人です、少尉。」

 フレータが再び視線を向けて来たので、テオも言った。

「俺は君達一族のことを知っている。そして文化保護担当部以外の”シエロ”とも交流がある。君達の秘密は口外しないし、興味本位で接したりしない。だから本当のことを教えて欲しい。キロス中佐は心の病なのか、それとも何か他に理由があって引き篭もっておられるのか?」

 彼はステファンも知らなかったある事実を打ち明けた。

「実は、オルガ・グランデにピューマが1頭来ている。」

 ハッとステファンとフレータが息を呑んだ。”砂の民”だ。もし”砂の民”に心を病んだ指揮官の現状を知られたら、とても拙いことになる。指揮官の命が危ない。そして指揮官の現状を隠していた部下達も制裁を受ける。それは司令部からの処罰より残酷な事態になるかも知れない。
 やがて、フレータ少尉が喉から乾いた声を出した。

「私の一存で打ち明ける訳にいきません。ガルソン大尉と相談します。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

テオは「ピューマ」をケサダ教授の意味で使っている。
しかしケサダのナワルがピューマだとはどこにも書いていない。

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