サン・セレスト村の旅の装備を解いて、テオは自宅の浴室で久しぶりに湯が出るシャワーを浴びた。蒸し風呂か湯を張ったバスタブにゆっくり浸かりたかったが、少佐が夜明け前に出かけるから早く寝なさいと言った。彼女がこの家に泊まるのは初めてじゃないか、と思いつつ、テオは素直に寝室に入った。ベッドに寝転がると直ぐに寝落ちした。
少佐に起こされたのは午前四時半だった。寝室から出ると、アスルがキッチンで既に朝食の支度を終えていた。何時帰ってきて何時寝たのかわからない。温かいスープとパンとコーヒーで食事をして、着替えて、徒歩で出かけた。
ロホが見つけた”入り口”は、なんと空き家になっているピアニスト、ロレンシオ・サイスの家の中だった。3人はこっそり中に侵入した。サイスが戻る迄一応外を見回る警備会社を雇っているので、荒らされていないが、中は埃が積もっていた。高価な品と言えば、グランドピアノだが、これは泥棒もお手上げだろう。
「よくこんな家の奥にある”入り口”をロホは見つけたもんだな。」
とテオが感心して言うと、アスルが、「それがブーカ族の凄いところだ」と言った。
”入り口”はリビングとキッチンをつなぐ廊下の途中にあった。ケツァル少佐は”穴”の大きさを確認すると、男達を振り返った。
「3人並んで通れる大きさですが、廊下の幅があるので、一列で入りましょう。アスル、先頭をお願いします。私は先導が下手だといつもカルロに言われているので。」
アスルが珍しく笑って、手をテオに伸ばした。握れと言う意味だ。テオはちょっとドキドキした。アスルからこんな風に握手を求められたことはなかったし、これは仕方なくしていることだと分かっていても、嬉しかった。彼は片手でアスルの手を握り、もう片方で少佐の手を掴んだ。少佐も握り返してきた。
アスルの体が廊下の暗がりの中に溶けて、見えなくなった。テオも中に入り、少佐が続いた。
いきなり石畳の上に出た。まだ夜明け直前で暗いが、遺跡の様な石を積み上げた壁が左右に長く続いていた。最後に出て来た少佐が呟いた。
「オルガ・グランデの旧市街ですね。」
「陸軍病院は恐らく西の方角です。」
アスルが指差した。
「歩いて20分の距離でしょう。」
3人は歩き始めた。テオは出てきた場所を振り返った。石壁に挟まれた路地の様だ。
「本部の人たちがキロス中佐に面会に来る時も、”通路”を使うのか?」
「その時の状況による。」
とアスルが答えた。それ以上の答えは望めなかった。
路地は曲がりくねっていて、5分程歩くと、幅の広い道路と交差していた。3人は幅の広い道路を右に曲がり、道なりに歩いて行った。やがて広い車道に出た。早朝だが車が往来していた。低木の生垣に囲まれた広い敷地の中に、古い石造りの建物が建っていた。庭に救急車や軍用車両が数台駐車しているのが見えて、そこが陸軍病院だとすぐ分かった。
3人が門に近づくと、当然ながら門衛がいて、身分証の提示を求めた。ケツァル少佐とアスルが徽章とI Dカードを出した。
「昨日ここに入院した同僚の様子を伺いに来た。」
門衛は緑の鳥の徽章を見た瞬間、ハッと相手の顔を見てしまい、アスルと視線が合ってしまった。アスルが”操心”を使った訳ではなかったが、門衛はすくみ上がり、「どうぞ」と中へ入るよう手で合図した。少佐が言った。
「簡単に通すでない! 我々は大統領警護隊太平洋警備室のブリサ・フレータ少尉の見舞いに来た。彼女の部屋を教えて欲しい。」
「少々お待ちを・・・」
門衛は慌てて何処かに電話をかけた。
「スィ・・・そうです、2人は徽章を持っています。I Dカードもお持ちです。もう一人は・・・」
門衛はテオを見た。テオは仕方なく大学のI Dを見せた。門衛は怪訝な顔をしたが、そのまま電話の相手に見た内容を伝えた。スィの繰り返しの後、門衛はストラップ付きの入館パスのケースを3人に手渡した。
「東棟の3階です。部屋はそこの事務室でお聞き下さい。」
「グラシャス。」
テオ達は堂々と陸軍病院の中に入った。
0 件のコメント:
コメントを投稿