2022/02/10

第5部 山へ向かう街     19

 アスクラカンのサスコシ族ディンゴ・パジェは父親が築いた家族の集落を出て、市街地のアパートで独り住まいをしていた。パジェ家は旧家だし、族長アラゴの話では裕福な家庭だと聞いていたが、ディンゴのアパートはセルバの平均的な収入がある一般的な住宅だった。入り口に守衛はおらず、バルコニーも狭い。エレベーターはなく階段で2階へ上がった。途中すれ違った女性はロホとギャラガに陽気な声で「オーラ!」と声をかけてくれた。
 ディンゴの部屋のドア横に呼び鈴のボタンが付いていたので、ロホは押してみた。中でジージーと音が鳴った。そして1分も経たぬうちにドアが開いた。30代後半と思える男が顔を出した。ロホは素早く緑の鳥の徽章を提示した。

「大統領警護隊、マルティネス大尉と・・・」

 彼は後ろを振り返って、部下を紹介した。

「ギャラガ少尉だ。ディンゴ・パジェは貴方か?」

 ディンゴがギョッとした様に目を大きく開いた。

「ロス・パハロス・ヴェルデス?  何の用です?」

 ロホは相手の気の大きさを推測った。ディンゴは気を抑制しているが、指導師であるロホは相手の能力の大きさが大体わかる。これは大事なことだ。相手がもし攻撃してきたら、防御に用いる力の加減を瞬時に設定しなければならない。小さければやられるし、大きければ跳ね返した相手の力が逆に相手自身を傷つけてしまう。
 ロホは慎重に言った。

「3年前の今頃にエル・ティティでバス事故があった。貴方がその事故の前日に他所から来た人と問題を起こしたと聞いた。その相手の人を覚えているか?」

 ディンゴは礼儀としてロホの目を見なかった。しかしロホの後ろに立っている赤毛で肌が白い大統領警護隊の隊員をぼんやりと眺めた。

「3年前に私が他所者と問題を起こしたと、誰が貴方に言ったのです?」

と彼が尋ねた。ロホは当然ながらその質問に答えなかった。

「こちらの質問に答えてもらいたい。これは公務である。」

 非公式だが、と後ろで控えているギャラガは心の中で呟いた。通常ロホ先輩は初対面の人に対して丁寧な言葉遣いで話しかける。しかし、ディンゴ・パジェに対して彼は上から目線で話していた。ギャラガはちょっと戸惑ったが、すぐにこれは純血至上主義者と言われるパジェ家の人間を牽制しているのだと気がついた。ディンゴに言っているが、ギャラガにも己と同じ様に話せよと教えているのだった。さもないと相手に舐められるぞ、と。
 大統領警護隊に嘘や誤魔化しを言うと、後でそれがバレた時に酷い目に遭う、と言うのが”ヴェルデ・シエロ”の常識だ。これは”ティエラ”達が彼等を恐れるのとはちょっと違う。”ティエラ”は大統領警護隊が古代の神々と話が出来ると信じているから、彼等が恐れるのは神罰だ。だが”ヴェルデ・シエロ”は、”ティエラ”が警察を厄介な相手と見做すのと同様のレベルで考えているだけだ。捕まって”曙のピラミッド”の地下神殿で審判を受けたくない。有罪判決が万が一にも出た日には、生きて家族の元へ帰れないかも知れない。
 ディンゴ・パジェは溜め息をついた。 彼は2人の大統領警護隊隊員を室内に招き入れた。狭い居間の椅子に向かい合って座ると、彼はロホの質問に答えた。

「軍服を着た小母さんだった。貴方の上官になる地位です。」
「名前を知っているか?」
「私のホセは、中佐と呼んでいました。」

 私のホセ? ロホは相手をまじまじと見た。ギャラガも思わず体を動かしてディンゴを見た。ディンゴ・パジェは彼等を真っ直ぐに見た。

「私は家族から異端者として追放されました。私が愛した人が軍人で男性だったからです。」
「その・・・ホセと言う人は・・・」

とギャラガが思わず口を出した。上官の許可なく発言するのは規則違反だが、ロホは咎めなかった。文化保護担当部はこの手の違反に対して緩いのだ。ケツァル少佐でさえ睨みつけるだけで、後から非難したり叱ったりしない。

「ホセさんが軍人なのだな?」

とギャラガが精一杯上から目線で喋った。相手は彼よりもロホよりも年上だ。しかし緑の鳥の威光が許される範囲で胸を張って振る舞わなければならない。
 ディンゴが小さく頷いた。

「大統領警護隊の少尉です。彼と私が会っているところを、上官の中佐に見られたのです。」

 当然、少尉の隊律違反を中佐は責めたのだ。セルバ共和国の軍隊は陸空、憲兵隊、そして大統領警護隊も同性愛を未だに認めていない。

「中佐は貴方ではなく少尉を咎めた。貴方は民間人だから、部下だけを責めた。そうだな?」

とロホが確認し、ディンゴは「スィ」と認めた。

「しかし、私は彼女の言葉に腹が立った。規則を守らせるだけなら、一言ホセに持ち場へ帰れと言えば済むことだ。私と会うなと言えば良い。しかし、彼女はそれ以上のことを言ったのです。ホセを侮辱したのです。彼が出世出来ないのはその・・・」

 ロホが片手を上げて遮った。

「それ以上言わなくても、結構。彼女は貴方と彼氏を誹謗中傷し、貴方達はそれに激昂した。そう言うことだな?」
「スィ。私は彼女に口を閉じて欲しかった。だから、夢中で・・・」

 ディンゴは両手で顔を覆った。

「気の爆裂で人間を襲うのは大罪です。私は殺人未遂を犯しました。気がついたら、中佐が倒れていて、ホセが彼女の息を確認していました。そして言いました。彼女はまだ生きている、自分がやったことにするから、君は逃げろ、と。後の咎めは全部自分が引き受ける、と。」
「ホセとは、太平洋警備室のホセ・ラバル少尉のことだな?」
「スィ。」

 ロホとギャラガはチラリと視線を交わした。

ーーラバルが今回の爆発事件の犯人でしたね?
ーーそうだ。彼は3年間中佐のそばで何を考えていたんだろうな。

 ロホはディンゴに向き直った。

「貴方は言われるがままに逃げたのか?」
「御免なさい・・・恐ろしくて、夢中で家に逃げ帰りました。しかし、その夜、父がその中佐を自宅に保護したのです。それを私が知ったのは翌日でした。その時既にホセは帰ってしまっていました。」

 ラバルは倒れた上官を見捨てて帰ったのか? ロホは呆れた。 ラバルの同僚のガルソン大尉と2人の他の部下達は自分達が咎めを受けるのを覚悟で中佐の異変を本部に隠し続けたと言うのに。
 ディンゴ・パジェの告白はさらに続いた。


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