2022/02/10

第5部 山へ向かう街     20

 「大統領警護隊の中佐は、私の気の爆裂で酷い損傷を頭部に負った筈です。しかし、私の家族には指導師がいませんでした。」

 ディンゴ・パジェは「あの日」の話をボソボソと話し始めた。”心話”を使えば一瞬で済むが、知られたくない個人的感情も全て伝わってしまう。彼はそれを恐れたのだ。

「中佐は何か焦っていた様で、まだ動ける状態でないにも関わらず、任務があるからと言って父の家を出て行きました。父は彼女を心配して私に彼女を連れ戻すよう言いつけました。私は彼女にしたことを後悔していたので、彼女を探し、バスターミナルで彼女を見つけました。彼女に謝罪して父の家に戻るよう説得しましたが、彼女は私の言葉に耳を貸そうとしませんでした。それどころか、あることを私に持ちかけてきました。」

 ディンゴ・パジェはロホに視線を向けた。それは救いを求める様な切ない眼差しだった。

「ホセと私の仲を父に黙っていてやるから、数分前にターミナルを出て行ったバスを一緒に追いかけてくれとと言うものでした。」

 ロホとギャラガは再び顔を見合わせた。キロス中佐が追いかけようとしたバスは、例の事故に遭遇したバスではないのか。テオドール・アルストが乗っていた運命のバスだ。
 ディンゴは続けた。

「私は自分の車に中佐を乗せて、バスの後を追いかけました。運転しながら、あのバスに何があるのかと彼女に訊きましたが、彼女はただ同じ言葉を繰り返すだけでした。止めなければ、と。」

 止めなければ・・・。 キロス中佐はバスを止めたかった。バスに誰かが乗っていたのだ。ギャラガが尋ねた。

「ホセ・ラバル少尉がそのバスに乗っていたと言うことはないのか?」
「ノ。 ホセは”通路”を使ってオルガ・グランデ近くの農村へ出て、それから実家経由で職場へ帰ると言っていました。彼はカイナとマスケゴのハーフですが、”入り口”を見つけるのはブーカ並に得意なのです。ですから、バスに彼が乗った可能性はありません。」
「キロス中佐はバスに誰が乗っているのか、全く言わなかったのだな?」
「一度も。」

 ディンゴは身を震わせた。

「バスはエル・ティティで一度停車しました。ですから、私の車はその時、追い付けたのです。中佐は私の車から降りて、バスに乗り換えました。」

 え? とロホとギャラガは驚いた。キロス中佐がバスに乗った? では、あのバスの乗客は38人ではなく、39人だったのか? 運転手と36人の乗客が死に、テオドール・アルスト1人だけが生き残った事故の生存者がもう一人いたのか?

 ディンゴが申し訳なさそうに言った。

「私が話せるのはそこ迄です。中佐がバスに乗って去ったので、私はアスクラカンに戻ったのです。そして怪我人を見つけられなかったと父に伝えました。父は私に”心話”を要求しました。恐らく、私は挙動不審だったのでしょう。そして中佐の怪我が気の爆裂によるものであると知っていた父は、私が絡んでいると睨んだのです。父は真実を知り、私の行為を大変恥に感じました。私は実家を追い出され、ここに住んでいます。」
「ホセ・ラバルはその後、貴方を訪ねて来たか?」

 ディンゴは少し躊躇い、小さな声で言った。

「あれ以来、彼がアスクラカンへ来ることはありません。私達はオルガ・グランデの廃坑で時々出会うだけです。」

 2人の仲はまだ続いていたのだ。
 ロホは更に確認した。

「エル・ティティのバス事故は知っているな?」
「スィ。」
「中佐が乗ったバスか?」
「スィ。あの時、中佐は死んだと思いました。不謹慎ですが、もうホセとの仲を邪魔されないと安堵しました。」
「しかし彼女は生きていた。」
「スィ。ホセに教えられ、仰天しました。一族の人間でも、あんな事故から一瞬で逃れられる人などいません。ましてや、脳に気の爆裂を食らった人間が、逃げられる筈がない・・・」

 ロホとギャラガは考え込んだ。アスクラカンを出てオルガ・グランデを目指したバスに何が起きたのか、バスに乗り込んだキロス中佐はどうやって助かったのか。

 

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