2022/02/11

第5部 山の街     2

 アスルは別に手の込んだ料理を作った訳ではなかった。普段と同じように鶏肉と野菜を煮込み、米を蒸して、皿にそれらを盛り付け、付け合わせに彩が美しく見える様に野菜を置いただけだ。しかし、その彩が若い巡査達を感激させた。エル・ティティの街の飲食店でそんな盛り付けの食事を出す店は、デートの時ぐらいしか利用しない。彼等は交代で署長の家の狭い食堂で食事をしたので、その間テオとアスルはずっと給仕と皿洗いをしていた。

「この町で大勢で会食出来る場所と言ったら、教会か町の広場しかないんだ。」

とテオは言い訳した。アスルは別に給仕係が苦にならなかったので、その言い訳を無視した。彼は巡査と大統領警護隊が食べ終えてやっと2人の順が回って来た時に言った。

「あんたは、俺がバス事故が起きた時間に跳んで、実際に起きたことを見ないのかと思っているんじゃないか?」 

 テオは皿から顔を上げた。ちょっとびっくりした。本当に彼はそう考えたこともあったのだ。しかし、すぐにそれは無理だと気がついたので、自分の中で却下した。

「俺が少佐とカルロと”星の鯨”の聖地に行った時・・・」

 アスルが彼を見つめた。

「グリュイエ少尉が少佐とカルロの前に現れた話を聞いただろ?」
「ああ・・・」

 グリュイエ少尉は、アスルの後輩だった。アスルに憧れて文化保護担当部に配属されることを望み、その希望が叶った日に、グラダ・シティでバス事故に遭って亡くなった。テオはカルロ・ステファン暗殺計画を解明する為に、ケツァル少佐とステファン、ロホと共にオルガ・グランデの地下深くにある”暗がりの神殿”へ下りて、そこから偶然”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなってから集まる聖なる場所に行き着いた。そこで少佐とステファンはグリュイエ少尉の霊と遭遇したのだ。
 少尉の亡くなり方を少佐から聞かされた時、テオは其れ迄何故アスルが彼に対して毛嫌いする態度をとっていたのか理由がわかった気がした。

「君が彼を救おうと彼の最期の瞬間に跳んだ話を少佐から聞いたんだ。君は彼を救えなかった。」
「あいつは自分が助かる為にバスの残骸を吹き飛ばしたら、救助の為に集まりつつあった市民を巻き添えにするとわかっていた・・・」
「もし君がエル・ティティのバス事故の現場に跳んだら、また君を苦しめると思ったんだ。」

 アスルは「けっ」と言った。それっきりその話題は出なかった。もし過去に跳んで当時の人を救助したら歴史が変わる。それは絶対にしてはならないことだとオクターリャ族の掟で定められている。きっと規則以上の恐ろしい時間の法則か何かがあるのだ、とテオは予想していた。

「キロス中佐の記憶に事故の瞬間がない。アスクラカンのサスコシの男はバスが事故に遭う場面を見ていない。俺にも記憶がない。また調査のやり直しだ。中佐が異常な状態になった原因はわかった。だけど、中佐がバスに乗ったのなら、絶対に何かが起きたんだ。」

 アスルが何かを考えながら、ゆっくりと言った。

「あの事故のニュースを聞いた時、俺達はロザナ・ロハスを追っていた。あの女が強い呪いの力を持ったネズミの神像を持っていると思い込んでいた。だから、バス事故は、ネズミの神様が呪いの力を発揮させたのだと思った。」
「うん。それで少佐がここの警察署に来て、初めて俺は彼女と出会ったんだ。結局ネズミはその時既にアンゲルス社長の寝室に置かれていたが。」
「つまり、ネズミはバス事故とは関係がなかった。」
「関係があるとしたら、脳にダメージを受けて朦朧としたキロス中佐しか考えられない。」
「だが、俺達にはテレポーテーションとか、バスから飛び出して無傷で助かるなんてことは出来ない。」
「人間だもんな。」
「スィ。それに脳にダメージを受けた者がそんな急場で脱出出来る可能性もない。」

 その時、家の入り口のドアが開く音がしたので、テオとアスルは口を閉じた。一番最後に食事を取る為に、ゴンザレス署長が勤務を終えて帰って来たのだ。テオよりも早くアスルが席を立ち、署長の食事を用意した。普段から上官の世話をしているので慣れている。台所のテーブルの前に座ったゴンザレスは、目の前に置かれた皿を見て目を細めた。

「若い連中が、店の飯より美味かったと褒めていたが、実に良い匂いだ。評判は本物だな。」

 アスルは照れ臭かったので黙っていた。彼等は再び食事を再開した。

「それはそうと・・・」

とゴンザレスがアスルを見た。

「貴方達はどこで寝るんだ? 大尉が寝袋を持参していると言っていたが、少佐は女性だ。床に寝かせる訳にいかない。」
「お構いなく。我々は慣れている。」
「いや、大統領警護隊を床に寝かせたなんて知ったら、州警察の偉いさんが煩い。と言っても、この町の宿屋は1軒しかないし、グラダ・シティから来た人が泊まれる様な部屋じゃない・・・」

 ジャングルの木の上でも平気な大統領警護隊はゴンザレスの心配を無用だと思っているので、アスルはテオを見た。署長に心配するなと言え、と目で訴えてきた。ゴンザレスはケツァル少佐がお金持ちのお嬢様だと知っているから心配しているのだ、とテオは思い当たった。だから彼は養父を宥めた。

「少佐は女性だけど、ジャングルの野営や砂漠での野宿に慣れているんだ。軍隊にいたら、どんな状況でも眠れる訓練を受けるんだよ。だから親父が気に病む必要はないんだ。」
「しかし、都会と違って、ここは山の町だ。夜中は冷えるぞ。」

 するとアスルが妥協案を思いついた。

「署長、貴方の警察署には、監房はいくつある?」
「3房だが・・・」

 答えてゴンザレスが彼の質問の意図を悟った。

「監房で寝るのか?」
「寝台はあるだろ?」
「あるが・・・」
「そこに男は寝袋を置いて寝る。少佐は・・・」

 アスルがテオを見た。ゴンザレスもテオを見た。テオはドキッとした。

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