2022/02/12

第5部 山の街     3

  アントニオ・ゴンザレスの家は平家で、エル・ティティの庶民の普通の家屋だった。部屋の配置も単純で、入り口を入るとすぐに居間、その横に台所と食堂、奥に寝室がその家の家族の数や裕福度によっていくつか造られていた。ゴンザレスの家は寝室が2つ、夫婦と息子の部屋だったが、妻子を疫病で失った彼は、狭い方の息子の部屋だった寝室に移った。仕事を終えて帰宅すれば寝るだけだったから、広い方の夫婦の寝室は数年間空き部屋だった。物置代わりに使っていたが、若いテオを養子にした時、ガラクタを捨てて新しく息子になった男に譲った。
 テオにしても週末に帰るだけだから、広い部屋は勿体無いと言ったのだ。しかしゴンザレスは彼に使って欲しかった。

「この家はいつかお前に譲るんだ。今からでも早くない、主人の部屋を使え。」

 テオはゴンザレスにもまだ新しい恋をする機会があるのに、と思ったが、厚意を有り難く受けることにした。もしかすると、ゴンザレスは新しい恋人が出来たら、この家を出て行きたいのかも知れない。天に召された妻と息子の思い出を新しい女性と共有することは出来ないのだろう。いっそのこと他人である養子とその彼女に使ってもらった方が良い、と考えているに違いない。
 そう言う訳で、テオの寝室には、今、ケツァル少佐がいて、夫婦の為の幅があるベッドの両端に彼女と彼は座っていた。寝るにはまだ少し早い時間だが、ゴンザレス家にテレビはない。昔はあったが、故障して、そのまま修理もせずに放置して、今やアナログの地上波用テレビは使えない。

「何か手がかりでもあったかい?」

とテオは調べ物の成果を尋ねた。すると少佐は言った。

「何も出ませんでした。しかし、それが却って奇妙です。」
「奇妙?」

 少佐は携帯で何かを検索した。そして見つけた写真をテオに見せた。それは崖から転落して谷底に横たわるバスの画像だった。南米の山岳地帯で起きた事故だ。

「このバスは100メートルの高さから落ちて、潰れています。」
「うん、潰れているな・・・」
「乗客の半数が不幸にも亡くなりました。」
「半数?」
「47人中19人です。」
「ほぼ半数だな・・・」
「バスは焼けていません。生存者もいます。」

 テオは画面から視線を外して少佐を見た。少佐はまた別の画像を出した。それも別の国で起きたバスの転落事故だ。

「これも、死者が出ましたが、バスは焼けていません。」
「バスは転落しても焼けなかった?」
「ガソリンタンクに火が付けば燃えます。でも、火を出したバスでも、何もかもが焼けて残らないと言う事故はありませんでした。エル・ティティの事故は犠牲者全員が焼けていたでしょう?」

 テオは黙り込んだ。彼は火傷を負っていなかった。左大腿骨骨折と全身打撲、無数の挫創、それが救助された直後の彼の状態の記録だった。
 少佐が続けた。

「犠牲者の記録に目を通しました。身元が判明した人は、火傷を負っていなかった体の部分や歯形が判断材料になっています。骨折や大きな衝撃を受けて亡くなった人もいますが、37人全員が火傷を負っていました。おかしいでしょう? 車外に投げ出された人まで焼けていたなんて。」

 テオは身震いした。

「誰かが、バスの中の人間全員を焼き殺そうとしたのか?」

 少佐が空中を眺めながら囁いた。

「体に火が付いてパニックに陥った運転士が、ハンドルを切り損ねて、バスを崖から落としたのだと思います。バスが落ちて火が出たのではなく、火が先に出て、バスが落ちたのです。」

 テオは深呼吸した。息が苦しい。頭痛もした。いつの間にかケツァル少佐が隣に座り、彼の背中に手を当てていた。

「大丈夫ですか?」
「ああ・・・バスの中で起きたことを想像しただけだ。思い出した訳じゃない。」

 テオは顔を上げて彼女を見た。

「きっと俺はその場面を目撃している。ただ、何が起きているのか理解していなかったと思う。目の前で信じられない出来事が発生して、頭の中が真っ白になった筈だ。俺の脳はそれを認めるのを拒否したんだ。」
「貴方だけが焼けなかった。貴方は私達の”操心”が効きません。それを考えると、恐らく・・・」

 少佐が不意に語気を強めた。

「火をつけたのは一族の人間です。そしてあの時バスに乗っていた”シエロ”はカロリス・キロス中佐一人だけだった筈。」



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