テオとケツァル少佐が3階の重症患者の病棟へ近づくと、347号室の前に座っている陸軍兵の様子がおかしかった。椅子に座っているのは先刻と同じだが、壁に背中も頭もつけてぼーっとしている。大統領警護隊の内部調査班が中にいるに違いないが、彼等が見張りをそんな状態にする必要があるだろうか。
ケツァル少佐が全身を震わせた。テオに「そこにいて」と囁き、347号室のドアの前へ足音を忍ばせて歩み寄って行った。彼女がドアの2メートル前迄接近した時、ドアが開き、一人の男が姿を現した。少佐と鉢合わせした彼は、ギクリと立ち止まった。テオの知らない顔で、彼は看護士の服装をしていた。彼を追う様に、病室から大統領警護隊の将校が一人出て来た。彼は看護士に「動くな」と命じ、それから少佐に気がついた。彼女を知らない大統領警護隊がいたら、モグリだ。将校が小声で彼女を呼んだ。
「ケツァル・・・」
僅かな隙をついて、看護士が走り出した。ケツァル少佐が彼の脚に気で払いを掛けた。看護士がバランスを崩して転倒し掛けた。病室内でもう一人の将校が怒鳴った。
「医師を呼べ!」
それから彼は続けて言った。
「そいつは見逃してやれ。面倒だ。」
看護士が体勢を立て直して、テオの目の前を走り去った。
廊下に出た将校が病棟の入り口の事務室に向かって怒鳴った。
「347号室に医師を呼べ! 緊急だ!」
ケツァル少佐は病室内を覗き、それから廊下に出ている将校に言った。
「向こうで待っています。お伺いしたいことがあります。」
将校は訝しげに彼女とテオを見たが、頷いた。バタバタと音を立てて医師と看護師が走って来た。彼等が病室に駆け込むと、将校は椅子の上でぼーっとしている見張りに気がつき、舌打ちするとその額に片手を翳した。見張りの兵士がハッと我に帰った。将校は彼に何も言わずに医師達の後ろにつづいて病室内に入り、ドアを閉めた。
テオは少佐が戻って来ると、看護士が逃げた方向を指した。
「あいつは向こうへ行った。」
「そうですか・・・」
少佐は溜め息をつき、彼を近くのベンチへ誘った。
並んで座ると、彼女は彼の催促を待たずに説明してくれた。
「逃げた男は”砂の民”だと思います。恐らく、太平洋警備室で起きた騒動を察知して、事情を聞きに現れたのでしょう。そして、彼女の体に負担をかけてしまったのだと思われます。」
「そこへ大統領警護隊が現れたので、男は逃げた?」
「そんなところです。」
テオは347号室を見た。
「キロス中佐は大丈夫だろうか?」
「チラリと見えた彼女は、酸素マスクを装着していましたが、呼吸器を火傷した訳ではないので、尋問による心理的な負担がかかったのでしょう。」
「大統領警護隊はまだ彼女から”心話”で事情を聞けていないんだな?」
「まだでしょうね。看護士の男も事情聴取に神経を注いで、警護隊が来たことを察知出来なかった。だから、病室で鉢合わせして、恐らく一悶着あったのでしょう。」
少佐が少し不安げに彼を見た。
「貴方はあの男に顔を見られませんでしたか?」
「彼が俺の方を見たと言う意識はなかったが・・・俺はただ訳がわからず呆然と立っていたから・・・」
情けないことだが、テオは事実を語った、すると少佐がちょっと苦笑いした。
「呆然として頂いて感謝します。もし貴方がはっきり関係者である振る舞いをしていたら、あの男は顔を見られたと知って貴方を狙って来ますから。 私はあの男に警戒しなければならないところでした。」
「まだ粛清されたくないな。 だけど、また来るのかな、彼は?」
「大統領警護隊と鉢合わせしましたから、もう来ないでしょう。どちらに優先権があるか決めるのは長老会です。大統領警護隊より己が優先されるべきだと思えば、彼は首領に裁量を求めます。」
「ムリリョ博士に?」
「スィ。」
「博士が決定を下す迄は彼は何もしない?」
「しません。」
テオは少しだけ安心した。
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