ほんの1時間前迄平和だったビーチがすっかり大混乱に陥っていた。誰かが通報したのだろう、セルバ共和国の官憲にしては珍しく警察と憲兵隊がすぐにやって来た。早くも砂浜でどっちの縄張りか揉め始めた。
国境警備隊はレッカー車を引き連れてやって来た。運転手不明の盗難車を収容するのだ。大統領警護隊はルカ・パエス少尉も含めて全部で5名、まるで砂浜の喧騒が聞こえないみたいに完璧に無視して黙々と作業を指揮していた。陸軍の国境警備班は部下扱いだ。勿論ゲイトの方に大勢残っているのだろうが、エベラルド・ソロサバル曹長に指図を与え、レッカー作業を手伝わせていた。レッカー車は民間業者の様だ。砂浜をしきりと気にしていた。
窓を黒く塗ったバンが2台やって来た。鑑識と死体収容車だ。テオは人垣のおかげで遺体を見ずに済んだことを感謝した。
大統領警護隊が盗難車が停められていた付近を歩き回っていた。何かの手がかりを求めているのだろう。ソロサバル曹長とレッカー業者が2人で車を牽引する作業をしていたので、カタラーニがお節介にも手を貸しに行った。人助けが好きな若者だ。
テオは大統領警護隊が盗難車を気にする理由が気になった。密入国の疑いがあるとしても、憲兵隊に任せて良いのではないか、と思ったのだ。だからパエス少尉が近くを通った時に近づいて声をかけた。
「密輸か密入国の疑いがあるのかい?」
パエス少尉が足を止め、草むらから顔を上げた。
「そんなものですが・・・」
と曖昧な言い方をして、彼はレッカー車の後ろに繋がれたワゴン車を見た。
「発見から3日経ってから収容するには訳があります。」
彼は同僚が近づいて来るのを見て、口を閉じた。そして、故意に声を大きくしてテオに言った。
「作業を手伝っていただいて感謝します。」
彼はテオに敬礼すると仲間の方へ戻って行った。 盗難車が牽引されてビーチから出て行き、国境警備隊もそれぞれ車に乗り込んだ。ソロサバル曹長も自分が乗って来た車に乗った。走り去る時にテオとカタラーニに片手を上げて挨拶してくれた。
砂浜のサメ騒動も沈静化しつつあった。憲兵隊が遺体とサメを収容して、撤収を始めた。警察は交通整理だ。人垣がバラけ始めたので、やっとテオは砂浜に乗り上げている漁船のそばに行った。
クルーザーみたいに見えたが、そばに行けば古ぼけた大型漁船だとわかった。漁師と地元民がまだ何やら騒いでいた。テオは近くにいた男を捕まえて声をかけた。
「サメから死体が出たんだってな?」
男は振り返ってニヤッと笑った。
「どこかの馬鹿がエル・エスタンテ・ネグロで泳いだんだ。それで守護者に飲み込まれちまったのさ。」
「エスタンテ・ネグロ? 守護者?」
男は沖を指差した。
「あの辺りだ。大昔、岬があったって辺りでさ、海の底が平らになって黒っぽい岩の板が並んでいるんで、エスタンテ・ネグロ(黒い棚)って呼ばれている。」
「岩の板が並んでる?」
それは遺跡じゃないのか、とテオは思ったが、口を挟むのは控えた。
「魚を網で獲るのは良いが、泳いじゃいけない。守護者・・・」
男はサッと周囲を見回し、大統領警護隊が撤収したことを確認した。
「ヴェルデ・シエロのことじゃないぜ。ジャガーは海の中にはいないからな。ここで言う守護者って言うのは、サメのことなんだ。あの連中がエスタンテ・ネグロ周辺にいっぱいいてさ、人が泳ぐと集まってくる。だから、泳いで魚を獲っちゃいけないのさ。」
彼は砂浜に乗り上げた漁船を見た。
「あれはホアンの船だ。ホアンは時々白人を沖へ連れて行って大物釣りをさせる。沖って、もっと遠くの沖だぜ。 カジキとかそんなの。で、今日はカジキ狙いで朝早く出たら、客がでっかいサメを見かけて、釣りたいって言ったらしい。ホアンは嫌がったが、チップを弾んでくれたんで、サメ用の仕掛けを客に教えた。」
「それで釣り上げたサメに人間が入っていたのか・・・」
「とんだ大物だよ、全く・・・」
男はそれだけ喋りまくると、さっさと行ってしまった。
砂がサメの血で赤く染まっていた。そのうち波に洗われるだろう。
カタラーニが呟いた。
「なんだかトカゲを捕まえる気力が無くなっちゃいました。」
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