2022/03/10

第6部 水中遺跡   18

  週末はエル・ティティに帰省するのがテオの1週間の締め括りだったが、その週は違った。養父アントニオ・ゴンザレス署長がグラダ・シティに出張して来たのだ。警部以上の警察官の研修なのだそうだ。金曜日の夜に夜行バスに乗ってやって来た署長を、テオは土曜日の朝バスターミナルまで迎えに行った。署長は長距離バスで疲れた体を休める暇もなく、グラダ・シティ・ホールで開かれる研修会に参加した。週末に仕事をするなんて、セルバの公務員としては珍しいことだが、内務大臣パルトロメ・イグレシアスの都合らしい。大臣は来週月曜日からフランスへ公務で出かけるので、土日に無理矢理研修会の日程をねじ込んだのだ。
 アスルが、土曜日の軍事訓練に出かける前に、自室として使っている客間から枕と毛布をテオの寝室に運び込んでいた。客間をゴンザレスに使ってもらう為だ。テオも自分の寝室にアスルの為に折り畳めるマットレスを置いた。急な来客用に購入していたもので、ソファで寝てもらうより体を伸ばせるので楽なのだ。
 研修会が終わったら電話するとゴンザレスが言ったので、迎えに行くとテオは約束した。夕食時間が何時になるか不明なので、大統領警護隊文化保護担当部とは約束出来なかった。
 夕方迄の時間潰しに公園に行った。広い芝生と低木の植え込みが波打つようななだらかな丘を覆っている。グラダ・シティ市民の憩いの場所だ。暢んびり歩いて、太陽が少しずつ真昼の位置に上がる頃に汗ばんでしまった。
 昼食はどうしようかと考えながら歩き続けると、大きな楡の木の下で休んでいる男性と幼い女の子の2人連れを見つけた。読書している男性がとても馴染みのある人だったので、テオは思わず声をかけた。

「ブエノス・ディアス!」

 男性が顔を上げた。そしてテオを見て微笑んだ。

「ブエノス・ディアス。 お一人ですか?」
「スィ。今日は一人です。」

 女の子は5歳ぐらいに見えた。白と緑と青の糸で何かを編んでいた。テオが子供を見たことに気がついて、男性が紹介した。

「末の娘のアンヘリタです。」
「ブエノス・ディアス、アンヘリタ!」

 テオが屈み込んで挨拶すると、女の子はチラッと彼を見て、「ブエノス・ディアス」と返事をしたが、すぐ糸に関心を戻した。
 テオは相手の許可をもらって隣に腰を下ろした。

「今日はエル・ティティではなかったのですか?」

と相手が尋ねた。テオは首を振った。

「養父が警察官の研修でシティ・ホールに来ているんです。だから、今夜は俺の家に泊まります。明日も研修かなぁ。」
「大臣の気まぐれも困ったものですね。」

 イグレスアス内務大臣の突然の研修会日程変更は既に前の週にニュースで流れていた。
 テオは公園を見渡した。もし記憶が正しければ、まだ女の子が3人いる筈だ。

「他のお嬢さん達は、教授?」

 フィデル・ケサダ教授は肩をすくめた。

「長女のピアノの発表会で、妻と次女と三女も一緒に出かけています。アンヘリタは演奏会に行くにはまだ早い年齢なので、私が子守をしているのです。」
「それは・・・長女さんはお父さんにもピアノを聞いてもらいたいだろうに・・・」
「毎日練習を聞かされているので、どうってことはありません。」

 テオはケサダ教授の家にはもう一人老人がいたことを思い出した。だが、彼女の存在は秘密の筈だ。ここで持ち出してはいけない。家族が出掛けている間、誰かが老人の面倒を見ているのだろう。教授の収入ならお手伝いさんぐらい雇える筈だ。
 テオは暫く鳥の囀りを聞いていた。 ケサダ教授は読書に戻り、幼子は何か編んでいた。
 ふとテオはンゲマ准教授が受けた電話を思い出した。それで、ケサダ教授に訊いてみた。

「ンゲマ准教授が最近奇妙な電話を受けたお話をご存知ですか?」
「奇妙な電話?」

 ケサダ教授が怪訝な顔をした。情報通の彼に入っていない情報なのか。ンゲマ准教授は恩師に報告する必要がない案件として片付けてしまったらしい。しかし喋ってしまった以上、テオは黙っている訳にいかず、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡の発掘を希望しているサン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授が体験した奇妙な資金援助提案と電話の話を語り、クエバ・ネグラの海岸の放置自動車を国境警備隊が調べていたこと、サメの腹から人間の遺骸が出て来たこと、ンゲマ准教授も奇妙な問合せの電話を受けたことを語った。
 ケサダ教授は意外な反応を見せた。笑ったのだ。

「貴方はいつも奇妙な案件を引き寄せるのですね。」
「別に俺が望んで引き寄せている訳じゃありません。」

 テオはちょっとムッとした。だが、と教授は言った。

「普通は無視して終わる話です。しかし貴方は気にしている。」
「そうですが・・・」
「セルバ流にアドバイスすれば、忘れなさい、と言うところですが、貴方は忘れられないでしょう。」
「損な性分です。」

 教授は本を閉じた。

「私からンゲマとモンタルボ教授に、その後の事態の進展を訊いてみましょう。さて、その件はここまでにして、どこかでお昼でも食べませんか? 子供連れで申し訳ないが・・・」



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