2022/03/24

第6部 七柱    8

  テオは午前の仕事を片付けると暇になった。試験期間が始まる迄出来るだけ学生と接触しない様に、大学から離れることにした。つまり、遊びに行くのだ。と言っても友人達は皆仕事をしている。シエスタの時間は相手にしてくれるだろうが、午後の仕事が始まれば一人になる。だから、彼は友人達を当てにせずに街中をぶらぶらと歩いて行った。あまり遠くへ行くと大学の駐車場に停めてある車に戻るのに長い距離を歩かなければならなくなるので、半時間以内で歩いて行ける距離と自分で決めた。人通りの少ない路地は避けた。昼間でも防犯対策は取るに越したことはない。ビルとビルの隙間で、車が両方向から行き違えられる幅の横道を見つけた。緩やかにカーブしており、その先の空間に見覚えがあった。軍用車両を専門に扱っている自動車整備工の作業所だ。民間人が一人で入っても大丈夫だろうか、と思いつつ、そちらへ歩いて行った。
 作業所はシエスタの最中だった。整備工達は屋根の下で弁当を食べたり、昼寝をしていた。彼等はテオを見ても特に反応しなかった。もしかすると、以前ケツァル少佐に連れられて来た彼を覚えているのかも知れない。
 ボディの横に緑色の鳥の絵が描かれたトラックが1台ピットに入っていた。滅多に見ないが、あのトラックは荷台に兵士を乗せて走るものだ。つまり、どこかで戦闘が発生した時に大統領警護隊を集団で輸送するための車両だった。普段使わないと故障してもわからない。恐らく定期点検をしているのだ。
 テオはそのトラックの前を通り過ぎようとして、日陰で折り畳み椅子に座って新聞を読んでいる兵士に気がついた。

「オーラ、ガルソン中尉!」

 声をかけると、相手は顔を上げた。そして微笑みで挨拶を返した。

「オーラ。ドクトル・アルスト。今日も少佐のお供ですか?」

 テオは苦笑した。

「俺がいつもケツァル少佐の後ろをくっついて回っていると思うのは、間違いですよ。ただ散歩して通りがかっただけです。」
「それは失礼。」

 ガルソン中尉の顔は以前会った時よりも明るくなっていた。転属したばかりの頃の緊張が解け、新しい仕事にも慣れたのだ。同じ部署の同僚とも上手く付き合えているに違いない。だから、テオは尋ねた。

「ご家族はお元気ですか?」
「グラシャス、皆元気です。子供達は新しい学校に慣れました。妻も家の近くで仕事を見つけて、頑張っています。都会の生活が面白いらしく、私が休みの日に戻ると、母子揃って私の留守中の話をしたがるので、ちょっと煩い程です。」

と言いつつも、幸せな家庭の親父感を漂わせるので、テオは笑った。そしてパエス少尉とは対照的だ、と思った。するとガルソン中尉が思いがけないことを言った。

「実はキロス中佐ともお会いしているのです。子供が中佐の体操教室に通い始めたのです。月謝を払う余裕がないと申し上げたら、彼女を庇ったせいで私が転属になってしまったのだからと、中佐が月謝を無料にして下さいました。」
「俺は一回きりしか彼女に会っていないが、良い人ですね。」
「スィ、私には今でも彼女は上官です。今の上官が私が彼女と会うことを快く思わないかも知れないと思い、最初に報告したら、許可してくれました。寧ろ、私の子供達が”ティエラ”の母親を持つので”シエロ”の教育を中佐にして頂くよう頼んでくれました。」
「それは素晴らしい!」

  ガルソン中尉は己の隣の椅子から車の部品を近くの棚に移して、テオに座れと言ってくれた。テオは素直に腰を下ろした。

「最近、北部国境のクエバ・ネグラと言う町に行って来ました。仕事でトカゲを捕まえに行ったんです。」

 ガルソン中尉が怪訝な表情になったので、彼は説明した。

「俺は遺伝子学者ですが、生物学部の職員ですから、他の教授の仕事の手伝いもするんです。トカゲは同僚の依頼で、俺の専門ではありません。頼まれて捕まえに行ったんですよ。」
「はぁ・・・?」
「そこで、パエス少尉と出会いました。」

 ほうっと言う顔をガルソン中尉が見せた。以前の部下がどこで勤務しているのか知らなかったのだ。

「国境警備隊に転属させられたと聞いていましたが、クエバ・ネグラの検問所にいるのですか。」
「スィ。今度の上官も女性だそうです。俺はその上官に会っていませんが、ケツァル少佐が考古学関連の仕事で出張して、パエス中尉にも女性指揮官にも会ったそうです。」
「パエスは少し偏屈なところがある男です。上手く同僚とやって行けているかどうか・・・」

 ガルソン中尉は長年一緒に勤務した元部下の性格を知り尽くしていた。ちょっぴり心配そうだ。

「俺が見た限りでは同僚と一緒に普通に働いていました。しかしケツァル少佐が彼に会った時に、彼に一つ問題点を見つけたそうです。」
「問題点?」
「彼はハラールを受けていない食べ物を口にすることが出来ないと言って、宿舎の食堂の食事を拒否して、毎日奥さんのところへ帰って食べるそうです。」

 ガルソン中尉が顔を曇らせた。

「それはいけませんな。」

 彼は元部下の将来を心配した。

「その行為は私的なもので、身勝手と受け取られてしまいます。軍人が取るべき行動ではない。」
「ケツァル少佐も彼に意見したそうです。今後のことは、彼自身で打開しなければ埒が明かないでしょう。」

 ガルソン中尉が首を振った。

「仰る通りです。私に彼に意見する権限はないし、彼の為にしてやれることもありません。仮に私が何かしても、彼のプライドが許さないでしょう。国境警備隊では誰もがハラールの問題を克服して勤務しているのだと言う単純な事実を、彼が早く気づいて受け容れるべきです。」

 年長のパエスを飛び越えて先に大尉に昇級しただけのことはあって、ガルソンは自分達が生きている世界をよく理解していた。
 整備工達が動き出したので、テオは退散することにした。彼が椅子から立ち上がると、ガルソン中尉が思い出した様に尋ねた。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれた考古学の仕事とは、カラコルの件ですか?」

 テオはびっくりした。カラコル遺跡の話もモンタルボ教授が襲われた話も、グラダ・シティでは全く話題に上っていなかったからだ。

「何故カラコルの件だと思われるのです?」

 テオの問いに、ガルソン中尉が答えた。

「何故って、あそこにはカラコルしか遺跡がないでしょう。」
「そうですが、”ティエラ”が造った町が海の底に沈んでいるので、今迄誰も調査しなかったんですよ。」

 ところが、ガルソン中尉はこう言った。

「カラコルは、”シエロ”が造った町ですよ、ドクトル。」




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