2022/03/23

第6部 七柱    5

  食事会は静かに終了した。家政婦のカーラは後片付けをして、彼女を手伝ったアスルは彼女からそっと先刻の話し合いの記憶を抜いた。そして彼女に夕食の食材の余りを持たせてタクシーに乗せてやった。
 ロホがデネロス少尉とギャラガ少尉を自分のビートルに乗せて官舎へ送って行った。テオはケツァル少佐とリビングで2人になった。

「パエス少尉と出会ったかい?」
「スィ。」
「俺と出会った時、彼は余り幸せそうに見えなかった。」
「生活習慣の違いが原因で、同僚と馴染めないでいるのです。」

 少佐がソファにもたれかかった。テオは少し離れて彼女の隣に座った。

「彼はオエステ・ブーカ族で、伝統を重んじます。奥さんもアカチャ族で伝統を重んじます。でも国境警備隊は全国から集まって来た兵士の集団です。大統領警護隊も陸軍国境警備班も同じです。狭い地域の伝統を守っていたら、統制を取るのが困難になります。パエスが指揮官とどれだけ話し合えるか、それが彼の将来への課題です。」

 恐らくテオや少佐が口出しすることでないのだろう。
 アスルがリビングに戻って来たので、テオはそろそろ帰宅しようと思った。少佐も疲れている。早く休ませてやろう。しかし、腰を浮かしかけて、また彼は別のことを思い出した。

「今日、ンゲマ准教授の学生が喧嘩した話を聞いたんだが・・・」

 アスルが向かいのソファに座った。テオは学生が真の名前を呼ばれて憤慨した話を語った。アスルが失笑した。

「奇妙だな。真の名を呼ばれて、腹を立てるとは。周囲に己の真の名を言いふらしているのと同じじゃないか。」

 そう言われればそうだ。すると少佐が、多分、と言った。

「その学生の真の名はかなり古い言葉を語源にしていて、現代は意味が変化している単語なのではありませんか? 相手の学生の部族ではその単語が侮辱の意味を持つ別の言語体系を持っていて、本当に侮辱の意味で叫んだので、1人目の学生は動揺してしまったのでしょう。」
「別の言語体系?」
「部族によっては全く通じない言語があるからな。」

とアスルが眠たそうな顔で言った。この男は満腹になるとすぐ眠くなる。

「古代のブーカ語と現代のブーカ語はかなり文法が違うそうだ。現代の俺達がブーカの呪術師の祈祷を聞いても、さっぱり意味がわからん。古代語で行うからさ。現代ブーカ語に翻訳してもらえれば、オクターリャ語に似ているから俺も理解出来る。オクターリャ語は古代から殆ど変化していない言語だと言われている。だから、古代社会では、ブーカ族とオクターリャ族は互いに言葉が通じなかった筈だ。」

 彼は小さく欠伸をした。

「恐らく、真の名を呼ばれたと怒った学生は、現代の侮辱の意味で使われている、己の真の名と同じ発音の言葉を知っているんだ。だから、相手がそいつの真の名を知らずに単純に侮辱のつもりで使ったのを聞いて、怒りが爆発したんだろう。己の真の名に誇りを持っていないのさ。」

 彼の瞼が半分落ちかけているのを見て、少佐がテオに囁いた。

「早くアスルを連れて帰りなさい。駐車場まで彼を抱っこして運びたいですか?」
「わかった、妙な脅迫をするなよ。」

 テオは苦笑して立ち上がった。

「少佐、君も真の名を持っているんだろうな? 教えてくれとは言わないが。」

 すると彼女は言った。

「純血種は全員ママコナから真の名をもらいます。ですから、親も知りません。異人種の血が入るとママコナの声を聞けても意味を理解出来ません。でもママコナは彼等にも与えているのです。カルロが蜂の羽音の様な声だと言っていますが、呼びかける最初の音は彼の真の名の筈です。だから、アメリカで捕まった彼が麻酔で眠らされていたにも関わらず目覚めたのは、ママコナに真の名を呼ばれたからです。当人は全然気がついていませんけれど。」
「彼のお祖父さんや父親のシュカワラスキ・マナは彼に名前を与えなかったのか?」
「与えたかも知れません。でも、カルロは決して私にさえ言いませんよ。真の名の掟ですからね。」
「それじゃ、カルロは真の名を2つ持っている?」
「エウリオ・メナクとシュカワラスキ・マナは純血の”ヴェルデ・シエロ”です。きっとママコナからカルロに真の名を与えたことを知らされた筈です。だから、カルロがお祖父様から、或いは父からもらった真の名は、ママコナから頂いた名前なのだと私は思います。恐らく、グラシエラもカタリナもママコナから名前を頂いています。」

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

カルロが生まれた時、当代のママコナはまだ幼かった筈・・・なので、乳母が考え、ママコナにテレパシーを送らせていたのだかも知れない・・・知らんけど。

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