2022/04/13

第6部  赤い川     12

 テオは石造の家にセフェリノ・サラテと共に入った。マリア・ホセ・ガルシアの妻と息子が中にいて、2人をテーブルに案内した。オルガ・グランデは高原の乾燥地帯だから、夜間は気温が低下する。ガルシアの家の中ではストーブが焚かれていたので、テオはちょっと驚いた。セルバ共和国に来てからストーブを見たのは初めてだ。エル・ティティも標高が高い町だが、ティティオワ山の東側なので湿度はオルガ・グランデより高く、気温の変化もそれほど大きくない。涼しくて心地良い土地だ。しかし、オエステ・ブーカ族の村の夜はどちらかと言えば寒い。同じ西部でも海辺のサン・セレスト村が暖かったので、余計にそう感じるのかも知れない。市街地が暖かく感じられたのは、都会の熱のせいだろう。
 ガルシアの妻がコーヒーを出してくれた。そして無言のまま息子と共に隣の部屋に引っ込んでしまった。
 サラテはそれまで黙っていたが、テオと2人きりになると、やっと話しかけてきた。

「貴方はマレンカの若と付き合いは長いのですか?」

 「若」と言う呼び方が、貴人の子息の名を直接呼ぶことを避けた言い方であると、テオは気がついた。ロホは自己紹介の時に己をアルフォンソ・マルティネス大尉だと名乗った。だがオエステ・ブーカ族の人々にとって、彼は都に住まう貴族の若君アラファット・マレンカなのだ。ロホ自身がどんなにその身分を嫌っても、恐らく一族の中で生きる限りは一生その肩書きが着いて回るのだろう。
 テオは敢えてロホの現在の名前を使って呼んだ。

「アルフォンソとは付き合って3年目です。彼と初めて出会ったのは、オルガ・グランデでした。彼は俺の命の恩人で、同様に彼も俺のことを命の恩人だと呼ぶでしょう。つまり、我々は互いに助け合い、信頼し合う仲です。大切な友人です。」

 サラテは暫く彼を眺めていた。礼儀として目を見ることはなかったが、テオの為人を見極めようとしているかの様だった。テオは己がどれだけ大統領警護隊の友人達から信用されているか、証明する為に言った。

「俺は大統領警護隊の友人達のナワルを見たことがあります。アルフォンソは美しい金色のジャガーです。カルロ・ステファンは見事なエル・ジャガー・ネグロです。2人共、俺の命を救う為に変身してくれたのです。変身が命懸けであることを俺は知っています。だから、俺も彼等の役に立ちたい。」

 サラテが硬い表情を崩して、フッと笑みを浮かべた。

「グラダに愛されている白人がいると聞いたことがありますが、貴方のことですね。」
「愛されていると言われると面映いですが、現在長老会が認めている全てのグラダ族の人々と仲良くさせてもらっています。」

 テオは長老会が認めていないグラダも知っているぞ、と内心得意に感じた。
 サラテがドアを見た。

「我がオエステ・ブーカはグラダ・シティの出来事とは縁遠い生活をしています。遠い祖先が政争に敗れてこちらへ移って来たと伝えられていますが、現在の農耕や近くの町での働きで十分生活出来ます。東への野心も恨みも妬みも何もない。その筈でした。しかし、最近はインターネットとやらで、世界中の情報が入って来ます。若い連中の中には、何故自分達が貧しいのかと疑問を抱く者も出て来ました。貧しいと思うのなら、自分で努力して稼げば良い。グラダ・シティやアスクラカンで成功している一族の者は、昔から努力して来たのです。何もしないで今日の繁栄を築いているのではない。しかし、それが分からない愚かな連中は、羨望ばかりを増幅させ、不満を募らせています。世の中は不公平だと勝手に思い込んでいるのです。」
「それは、どこの国でも同じです。」
「ホセ・ガルソンをご存知ですか?」

 いきなり知人の名前が出て、テオは不意打ちを喰らった気分で驚いた。

「スィ、知っています。少し前迄太平洋警備室にいた大統領警護隊の将校ですね。」
「スィ。彼は愚かな過ちを犯し、左遷されました。彼の部下達も同様でした。」
「確かに、上官を守ろうとして本部に嘘をついたことは、重大な過ちでした。彼等は信用を失い、代償を払うハメになりました。しかし、現在彼等は失った信用を取り戻そうと努力しています。決して失望していません。」

 サラテがテオを振り返った。少し驚いていた。

「彼等とも親しいのですか?」
「親しいと言える程ではありませんが、ガルソン中尉とはグラダ・シティでたまに出逢います。彼の家族の話など、勤務に関係ない世間話をする程度ですが。」
「家族の話をするなら、彼は貴方を信頼しているのでしょう。」

 サラテは何気ない風に言った。

「彼は私の甥なのです。大統領警護隊に入隊して、”ティエラ”の女性を妻に迎えてから、あまり我が家と交流しなくなりましたが、村の若者達の尊敬の的でした。それがあの失態です。若者達がどれだけ彼に失望したか、彼は想像すらしていないでしょう。」
「彼等は尊敬する上官を守ろうとした。その上官は任地の村人達や港の労働者達を長く守って来た人でした。本部はそう言った事情を理解してくれたので、彼等は降格と転属で済んだのです。彼等は決して反逆者ではなく、判断をミスしただけです。」

 サラテが溜め息をついた。

「若い連中の中には、ホセ・ガルソンより愚かな者もいます。ホセとルカ・パエスは東の連中に冷遇されたのだと本気で憤りを感じる者がいるのです。」

 テオはふとベンハミン・カージョはこの村の出身ではないのかと思い当たった。だから訊いてみた。

「付かぬことをお聞きしますが、ベンハミン・カージョと言う人をご存知ですか?」

 サラテが複雑な表情で頷いた。

「スィ。ここの出身です。かなり血が薄いが、まだ”シエロ”と呼ばれる力、”心話”や”感応”、夜目を使えます。だが本人は己が”シエロ”なのか”ティエラ”なのか気持ちの置き所が定まらず、常に苛立っていました。テレビを見た私の妻が、あの男が今朝の殺人事件や雑誌記者の行方不明に関わっているらしいと教えてくれましたが、本当でしょうか?」
「まだ彼がどんな事件に巻き込まれているのか、俺達にはわかりません。それを調べに俺達はグラダ・シティから来たのです。数時間前に彼と接触しました。彼は政府の手先が彼の友人を殺したと思い込んでいます。何故そんな考えを抱くのか、理由がわかりません。」

 サラテの顔が硬くなった。

「政府に対して疑いを抱いているのではなく、長老会に・・・」

 彼は話し相手が白人であることを思い出して口を閉じた。だからテオは言った。

「”砂の民”を長老会が動かしたと彼は考えたのでしょうか?」

 サラテがびっくりした表情で彼をまじまじと見た。”砂の民”の存在を知っている白人など過去にいなかったのだろう。テオは話を続けた。

「”砂の民”が人間をあんな風に殺したりする筈がありません。カージョのルームメイトは拷問されて殺害されたのです。それがメディアで報道された。あんな目立つやり方を、”砂の民”はしないし、長老会も望まないでしょう。」
「貴方は、本当に我々一族を知っているのですね。」

 サラテがやっと緊張を解いたように見えた。その時、ドアの外で人が近づく気配がした。彼はそちらへ顔を向け、呟いた。

「マリア・ホセとマレンカの若が戻ったようです。」


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...