2022/04/20

第6部  虹の波      5

  洞窟探検の装備はして来なかったが、夜間行動の可能性はあったので、テオはヘッドライトを持っていた。ヘルメットなしで直接頭にベルトで固定した。ケツァル少佐は最初から軍用ヘルメットを被っていた。彼女のサイズではテオの頭部には小さ過ぎた。彼はデルガド少尉から借りることは考えなかった。少尉のヘルメットは少尉を守るための物だ。
 少佐が先に鉄棒の梯子を降りて行き、底に到着すると安全を確認してから、テオに合図を送った。テオも梯子を降りて行った。3年前、オルガ・グランデの廃坑にあったエレベーター用竪穴を降りたことがあった。あの時より明るく、距離も短かったが、石組は2000年以上前の物だし、鉄棒が錆びて折れないかと心配だった。何とか底に足を置いた時は、まだ探検が始まったばかりだと言うのに、ホッとした。
 竪穴の底の出口は1箇所だけで、3方は塞がっていた。少佐が地面を指したので、テオはヘッドライトをそちらへ向けた。土ではなく石畳の上の土埃の上に足跡が残っていた。何度も往復した様子で一番新しいものは梯子に向かっていた。少佐が囁いた。

「成人の男性、履き物は古いスニーカー。踵部分がかなりすり減っています。右足を少し引きずり気味。」
「最後に通ったのは何時かわかるか?」

 少佐が屈み込み、足跡の臭いを確認した。彼女や仲間がこんな行動を取る時、”ヴェルデ・シエロ”にはジャガーの資質が強いんだな、といつもテオは感じる。一体どんな遺伝子的変化で人間とジャガーが入り混じってしまったのだろう。
 少佐が顔を上げた。

「恐らく、この足跡は今朝のものです。」
「そんな最近?」
「もしかすると、この穴の奥で誰か住んでいるのかも知れません。」

 2人は歩き始めた。テオは足音を立てまいと努力したが、どうしても洞窟の中で音が響いてしまった。しかし少佐は咎めなかった。”ティエラ”なら当然だと理解しているのだ。天井が低いのも少しテオの身長には辛かった。ヘルメットを被った少佐でギリギリの高さだったから、この石の地下通路は当時の人間の身長に合わせて造られたのだろう。
 微かな空気の流れと異臭を感じて、テオは足を止めた。少佐が振り返った。目で「わかった?」と同意を求めて来たと思ったので、彼は頷いて見せた。少佐はライフルを構えたまま、前進を続け、彼も続いた。
 異臭は、トイレの臭いに近かった。動物の排泄物の臭いだ。テオは大判のハンカチを出した。少佐がスカーフを顔に上げ、彼も鼻から下を覆った。アンモニア臭のする場所に、土を盛った地面が数カ所見受けられた。約10メートル四方の四角い空間だ。少佐が壁を見回し、低い声で呟いた。

「遺跡をトイレ代わりに使っているなんて・・・」

 対面に通路が続いており、その奥で何か気配がした。少佐は通路に向かって行き、テオも続いた。少し上り坂になり、それを登り切ると、先のトイレ空間より広い部屋に出た。仄暗い灯りが一つだけ灯っていた。蝋燭の灯りだった。そして、黒い影がその下で蹲っていた。テオのヘッドライトがその影の主を照らし出した。照らされた人は顔を覆い隠し、小さくなった。テオは女性だと思った。思わず声をかけた。

「ベアトリス・レンドイロ?」
「いや・・・来ないで・・・」

 女性の声がそう言った。ケツァル少佐が話しかけた。

「大統領警護隊です。」

 暫く沈黙があった。それから、その人は顔を上げた。肌は汚れていたし、髪も乱れていたが、テオが知っている女性の面影があった。彼女はテオを眩しそうに見た。テオはヘッドライトを頭部から外し、彼女を直接照らさないよう気遣った。そして彼女に見えるように、ケツァル少佐にライトを当て、それから自分の姿も見せた。女性が囁いた。

「もしかして、ケツァル少佐?」
「スィ。」
「・・・そして、ドクトル・アルスト?」
「スィ。」

 突然彼女がワッと泣き出したので、テオはびっくりした。少佐が彼女に近づいた。

「怖かったんですね?」

 珍しく少佐が優しい声で雑誌記者に声をかけた。レンドイロが泣きながら頷いた。少佐がさらに尋ねた。

「貴女一人ですか?」

 レンドイロが頷いた。それから、顔を上げ、急いで周囲を見回した。

「男が一人、毎日食べ物を持って来ます。今朝も来ました。」

 テオは室内をライトで照らした。生活臭はない空間だが、彼女の為に、その男が運んだのか、汚い毛布と水のペットボトルがあった。少佐が確認した。

「その男がここへ来るのは、一日一回きりですか?」
「スィ。」

 レンドイロは部屋の一角を指差した。

「あそこから外の光が差し込んで来ます。短い時間ですが、それで1日の始まりと終わりの目安にしていました。彼は一日一回だけ来ます。間違いありません。」

 賢い女性だ、とテオは思った。少佐が彼に彼女の腕をとるように、と言った。

「事情は後でお聞きします。今はこの人をここから出してあげましょう。」

 テオがレンドイロの手を取って立ち上がらせると、地面近くでジャラリと金属音が響いた。見ると、彼女の右足首に輪っかがはめられ、彼女は鎖で壁に繋がれていた。少佐が鎖を眺め、ライフルの台尻で輪っかに近い部分を叩いた。実際はそれだけで鎖が砕けると思えなかったが、砕けた。恐らく、叩くタイミングで爆裂波を放ったのだ、とテオは推測した。1ヶ月近く繋がれたままだったので、レンドイロは最初歩くのがおぼつかなかったが、トイレ空間を過ぎた頃に何とか歩く感覚を取り戻した。彼女はトイレ空間を通り抜ける時に、恥ずかしそうに俯いた。彼女自身の体からも異臭がしていた。「男」が来る時しか、トイレ空間を使わせてもらえなかったのだ。
 出口に近づくと、少佐が先に登って行き、デルガド少尉にレンドイロ発見と、周辺への警戒の必要性を伝えた。これは同時に若いデルガドに、”ヴェルデ・シエロ”らしさを隠すようにと言う注意を与えたのだった。
 レンドイロは残る力を振り絞って鉄棒の梯子を登り切った。暖炉型の小屋から出ると、彼女は思わず、

「地上だわ!」

と声を上げた。デルガド少尉が指を唇に当てて、静かに、と注意した。

 

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