2022/04/21

第6部  虹の波      7

  ジャングルの夜は蒸し暑く、雨季らしくジメジメしていた。その日は雨が降らず、夜は冷え込まなかった。蚊に刺されるかと心配したが、2人の”ヴェルデ・シエロ”が故意に無防備に気を放出して寝たので、虫は寄って来なかった。ある意味、それは危険行為で、同じ”ヴェルデ・シエロ”の敵がいれば存在を察知されてしまうのだ。しかしケツァル少佐とデルガド少尉は2人の守るべき”ティエラ”を抱えていたので、敢えて「気を緩ませて」一夜を過ごした。
 朝は霧が出ていた。テオは太陽がどこにあるのかと天空を見上げ、微かに白い円形の光を霧の膜の向こうに見つけた。あっちが東なのか、と思った。彼の感覚では現場はアスクラカンの街より南だ。北へ歩いて行かねばならない。
 少佐が上の枝から手を伸ばしてアーモンド味のクランチバーをくれた。水分も欲しかったが、それはテオのリュックの中に入っているペットボトルの中に4分の1程残っているだけだった。
 地面に降りると、テオはデルガドの助けで降りて来たベアトリス・レンドイロに肩を貸し、アスクラカンへ戻り始めた。前夜勢いよく誘拐された過程を語った雑誌記者は、朝になると疲れがさらに酷くなっていた。デルガドが歩きながら見つけた木の葉を搾って苦そうな液体を彼女に飲ませた。すると彼女は少しだけ元気を取り戻して足を前に出して歩いた。

「薬草かい?」

 テオがそっとケツァル少佐に訊くと、少佐が彼にだけわかるようにドイツ語で答えた。

「麻薬成分を含む植物です。」

 レンドイロの疲労や苦痛を和らげるだけのものだ。
 小一時間歩いて、少佐が足を止めた。片手を挙げたので、テオとデルガドも止まった。テオは背後でデルガドがアサルトライフルを構え直す微かな音を耳にした。少佐が石像の様に固まったので、少尉も動かない。テオも息を潜めた。レンドイロだけがぼんやりと彼の体に腕を回し、もたれかかって立っていた。
 数分後に、やっとテオの耳にも足音が聞こえて来た。下草を踏み、木の枝を動かさぬ様砕心して歩いているが、ジャガーやマーゲイの耳には十分聞こえるのだろう。そして通常の人間より聴力の良いテオにも聞き取れた。不自然な音だ。樹上にいる猿や鳥が立てる音ではない。
 足音は片足を少し引きずった感じだった。怪我で足に多少の障害が残ったのか、引きずる癖があるのか定かでないが、特徴がある音だった。さあ来い、とばかりに少佐がライフルを音源の方向に向けた。
 レンドイロがやっと音を聞き分けたのか、テオの背中に回した手に力を入れた。微かな震えが伝わって来たので、テオは空いた手で彼女の手を軽く叩いて励ました。ここで怯えてパニックになってくれるな、と願いながら。
 戦闘態勢に入った2人の”ヴェルデ・シエロ”は完全に気配を消していた。目の前にいるのに人間が存在する気配がない。
 足音がすぐそこまで近づいた時、頭上で猿が吠えた。接近者に驚いたのだ。接近者が逆にそれに驚いて足を止めた。いきなり膠着状態に陥った。接近者も警戒して動くのを止めた。少佐とデルガドには相手の位置がわかったのだろう、彼等は焦らず、空気の一部になって向こうが動き出すのを待った。レンドイロもテオも息を止めてしまった。
 接近者が動いた瞬間、ケツァル少佐がクッと喉の奥で音を発した。テオはレンドイロを抱えて地面に伏せた。少佐も伏せ、最後尾のデルガドが3人を飛び越えて薮の中に踊り込んだ。
男の「わーっ!」と言う叫び声が上がると同時に、少佐が跳ね起き、彼女も藪に飛び込んだ。

「助けてくれ!」

 聞き覚えのない男の声が叫んだ。テオはレンドイロを助けながら起き上がり、泥を落として、ゆっくり藪へ歩いて行った。薮は激しく揺れていたが、テオとレンドイロが到着すると静かになっていた。
 無精髭の農民の姿の男が跪いていた。後ろ手に手錠をかけられている。デルガドの見事な捕縛術だった。男は顔は手入れをしていなかったが、服装はデルガドと格闘した際の汚れ程度で、荒んだ感じはなかった。少佐がライフルの銃先で男の顎を持ち上げて顔を見た。

「何者です?」

 男より先にレンドイロが震える声で言った。

「私を捕まえていた人です。」

 少佐は彼女を振り返らずに男の目を見つめた。

「名乗りなさい。」
「ペドロ・ウエルタ・・・」
「何処に住んでいますか?」

 男はアスクラカンの南の地区の名を告げた。低所得者が住む農村だ。所謂小作農が住む地区だった。

「貴方はベアトリス・レンドイロを誘拐しましたね?」
「・・・助けた。レグレシオンから・・・」

 テオは思わず少佐を見たが彼女は振り返らなかった。それで彼はデルガドを見た。デルガドは彼を見返し、それからまた少佐に視線を戻した。レンドイロを見ると、彼女はレグレシオンを知っているが、何故あの過激組織の名がここで出てくるのかわからない、そんな表情だった。

「彼女を最初に誘拐した男はレグレシオンの構成員ですか?」
「スィ。・・・彼女から七柱の仕組みを聞き出そうとして、彼女を誘き出した。」
「貴方はどうやってそのことを知ったのです?」
「村の古老に遺跡の場所を訊きに来た男がいた。遺跡に七柱があるか、まだ崩れずに残っているかと訊いてきた。古老は怪しんで答えなかった。後で俺に男のことを教えてくれた。」
「何故古老は貴方にレグレシオンのことを教えたのです?」
「俺が遺跡の管理者だから。」
「管理者?」
「ずっと昔から、俺の家は遺跡を管理してきた。ずっとずっと昔からだ。”ヴェルデ・シエロ”が去る時に、俺の先祖にそうしろと命じたからだ。」
「遺跡のことを訊いてきた男がレグレシオンだ、とどうして貴方は知っているのです?」
「”ヴェルデ・シエロ”がそう教えてくれた。」

 デルガド少尉がテオを見た。テオも彼を見た。レンドイロが呟いた。

「いるの? ”ヴェルデ・シエロ”が?」



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