2022/04/22

第6部  虹の波      9

  往路より復路の方が時間がかかった。1ヶ月間鎖で繋がれて体力のない女性と、捕虜を連れているのだ。デルガド少尉はペドロ・ウェルタを監視しながら後ろについていた。テオはベアトリス・レンドイロの補助と世話だ。ケツァル少佐は彼女から先刻のウェルタの尋問の記憶を消し去った。ウェルタはそのことに気がつかないが、レンドイロが彼の罪が重くなるような証言をしなければ余計なことを言わない筈だ。彼は大統領警護隊の2人が普通の人間でないことを勘付いていた。だから少佐と目が合いそうになると慌てて視線を逸らせたし、デルガドの手が彼の体に何かの弾みで触れた時は、ビクッと跳び上がった。レンドイロは彼の怯え方を、彼女を誘拐した罪の重さを心配しているのだろうと思っただろう。
 携帯電話の電波が届く場所まで来ると、ケツァル少佐はアスクラカンの憲兵隊に電話をかけた。だから森から出て出発地点に辿り着くと、憲兵隊の車両と救急車が待機していたので、テオはホッとして気が抜けそうになった。ベアトリス・レンドイロは彼と大統領警護隊に感謝して、救急車に乗せられ運ばれて行った。ペドロ・ウェルタは憲兵隊に引き渡された。それらの様子は耳聡いマスコミに撮影されたが、セルバ共和国のメディア関係者達は大統領警護隊を撮影してはいけないことを知っている。だからテオばかりがカメラに追いかけられることになった。
 何故グラダ大学の生物学部遺伝子工学科の准教授が遺跡で行方不明だった雑誌記者を救出したのか? それに関してテオは、「バスの中で出会ったすぐ後で行方不明になった知人が気になった。しかし遺跡に行ったのは、新種の生物を探す目的で、捜索活動をしていた大統領警護隊の友人について行っただけだ。」と語った。ケツァル少佐からペドロ・ウェルタの証言に関する記憶を抜かれているレンドイロは、救出された時の様子を語ったが、彼女自身実際に当時混乱していたので証言が二転三転し、状況がはっきりしなかった。
 テオはすぐに憲兵隊の事情聴取から解放され、ケツァル少佐とデルガド少尉に別れを告げてエル・ティティに戻った。帰宅した時は疲れていたので、家に入るなりシャワーに直行して、それからベッドに倒れ込み、すぐに睡魔の虜になった。
 目が覚めると朝が来ており、彼は一躍エル・ティティの英雄になっていた。テレビのニュースを見た住民達が続々とお祝いに訪れ、彼はゴンザレスや警察署に迷惑をかけては行けないと考え、結局教会で講演会を開き、彼が語ることが許される範囲で冒険談を語った。
 エル・ティティの騒ぎは3日もすれば沈静化したが、その間テオはテレビやネットのニュースでグラダ・シティでレグレシオンの本拠地が憲兵隊の奇襲に遭い、多くの逮捕者が出たと知った。テロを行った事実はなくても、準備していたら犯罪になる。憲兵隊はレグレシオンが製造していた時限爆弾やその材料、シティ・ホールや市役所、放送局の設計図を押収した。オルガ・グランデでは殺人罪で数人の学生や元学識者のホームレスが逮捕された。アメリカ人占い師と、セルバ人の男性を殺害した容疑だ。誰が実行者かなど憲兵隊は問題にしなかった。関わった全員が犯罪者だ。テオは中米のこの無茶振りを時々「行き過ぎだ」と感じるが、テロリストが相手の時は、問題にしないことにした。彼等は性別年齢貧富の差を考えずに市民を殺傷することしか考えていない悪魔だ。テオはそう割り切ることに決めていた。テロリストがそんな行動や思想を抱くに至った過程など問題ではない。そんなことを考えること自体が問題なのだ。
 ゴンザレスは義理の息子が有名になったことを心配していた。テオ自身がテロや誘拐の標的にされることを心配したのだ。

「俺のことは心配しなくて良い。お前はグラダ・シティで”シエロ”の友人達の近くにいろ。ここへは休暇で帰って来てくれるだけで十分、俺は幸せだよ。お前がここにいる方が、俺は却って心配なんだ。」

 テオもゴンザレスやエル・ティティの住民が気掛かりだった。迷惑をかけてはいけない。彼はゴンザレスの厚意を受け容れることにした。
 新学期までまだ1ヶ月以上残っていたが、テオはグラダ・シティに帰った。予定より早い主人の帰宅に、留守宅で一人暢んびり夜を過ごしていたアスルはちょっぴりふくれっ面をしたが、腹を立てることはなかった。テオの自宅の中は綺麗に片付いていて、まるで誰も住んでいないみたいに見えた。元々アスルは物を持たない男だったし、散らかしたり家具を動かすこともしない。
 テオは荷物を寝室の床に置くと、ベッドの上に服を着たまま寝転がり、そのまま眠りに落ちた。


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第11部  紅い水晶     19

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