2022/04/11

第6部  赤い川     9

  ロホが近づいて来る男性の気配に気がついた。目で合図されて、テオも通路を振り返った。無精髭を生やした50代半と思われるメスティーソの男がゆっくりと歩いて来るところだった。服装は草臥れたチェックの襟付き綿シャツとデニムボトム、履き古したスニーカーだ。肩から斜めがけに大きめのショルダーバッグを提げていた。
 男はロホの大統領警護隊の制服を見て足を止めた。少し躊躇ってから声をかけて来た。

「呼びましたか?」
「スィ。」

 ロホは男の背後を見た。尾行されている様子は見られなかった。彼は男にそばに座れと手で合図した。男はまた躊躇したが、意を結した表情で長椅子のテオの隣に座った。
 テオが挨拶した。

「グラダ大学生物学部のテオドール・アルスト・ゴンザレス准教授です。」

 男が怪訝な顔をした。大学の先生が何の用事だ? しかも大統領警護隊を連れて?
 テオは彼を揶揄うつもりはなかったが、相手が名乗らないので、少し意地悪く言った。

「こちらの要件を貴方の占いで当てられませんか?」

 男が表情を硬らせた。彼はテオとロホを交互に見た。どちらを相手にすべきかと量っている。テオは腹の探り合いが得意でなかった。だから尋ねた。

「貴方のルームメイトが殺害されたことはご存じですね?」
「・・・スィ・・・」

 男はベンハミン・カージョであることを暗に認めた。

「犯人をご存知ですか?」

 カージョはロホを見た。彼はロホに尋ねた。

「殺人犯を捜査しているんですか? それとも私を捕まえに来たんですか?」
「捕まるようなことをしたのか?」

 ロホが高い階級の軍人の口調で訊き返した。カージョが首を振った。

「私は法律に触れることをしていない。私はただ我々の先祖が神話の中の存在ではなく、現実にいたのだと言うことを、ネット上で語っただけです。」
「シエンシア・ディアリア社のベアトリス・レンドイロ記者と語り合っていた、そうですね?」
「スィ。遺跡の形状の特徴を指摘して、ある時代からそれが造られなくなったことを考えると、それが”ヴェルデ・シエロ”の遺跡である可能性があると言う話を論じ合ったのです。」
「それが、何故『いる』と言う考えに繋がるのです? 『いた』のではないのですか?」

 カージョはまたロホをチラリと見た。大統領警護隊が伝説の神と話をすると言う迷信を信じているのか? しかし彼はロホの”感応”に応えたのだ。この男も”シエロ”だろう。或いはその子孫だ。彼は小さく息を吐いて、答えた。

「現在も同じ建築方法が使われていることに気がついたんです。」

 テオとロホが黙っているので、彼は説明を付け加えた。

「ある特定の建設会社が建てた公共施設がどれも同じ構造を取り入れてることに気がつきました。素人目には分かりません。プロの建築家でもわからないでしょう。でも、柱の配置が同じなんです、遺跡の崩壊した神殿跡の柱の痕跡と全く同じ配置なんです。」

 彼は全身を小さく震わせた。

「建物を支える主要な柱が必ず7箇所なのです。そしてそれらが折れると自然に建物全体が崩壊するようになっている。同一建設会社の建造物で、公共施設です。そこが重要なのです。個人の依頼による建物ではない、公共施設です。大勢が利用する建物です。」

 テオはそれに似たような話を聞いたような気がしたが、何処で聞いたのか、誰から聞いたのか、思い出せなかった。恐らく、軽く聞き流してしまったのだ。
 カージョが声を小さくした。元より小さい声だったので、聞き辛くなった。テオは彼に顔を近づけた。

「・・・逆らうと、罰として建物を崩壊させ、我々に見せしめる為のものではないかと思うのです。」

 とカージョが言った。ロホには最初から聞こえていたようだ。

「考え過ぎだ。」

と彼はカージョを遮った。

「政府が国民をそんな方法で罰する筈がない。古代の建築方法で建てたからと言って、その建設会社が古代の民族の流れを受け継いでいると言う考えも無理だ。そもそもセルバ人はその古代の民族の子孫ではないか。神殿の建築を真似てもおかしくない。」
「だが、現にホアンは殺された!」

 カージョが立ち上がった。

「ここに来たのが間違いだった。大統領警護隊は政府の機関だ。ホアンは政府の手先に殺されたんだ。建築方法の秘密を守るために・・・。」

 彼はクルリと向きを変え、聖堂の中を走り出した。テオは思わず立ち上がったが、追いかけなかった。聖堂内にはまだ数人見物人がいて、走って出ていくカージョを眺めていた。
 テオは座り直した。ロホを見ると、ロホがカージョの言葉を教えてくれた。

「彼は、セルバ政府が古代建築を真似て建てた公共施設を使って、政府の政策に反対する人々を罰しようとしている、と考えているのです。」
「はぁ?」
「例えば、シティ・ホールの様な大きな場所に反対派を入れ、柱を破壊して建物を崩壊させる、そして反対派を抹殺する・・・」
「馬鹿馬鹿しい!」

 テオは呆れた。

「政府の指導者達は富裕層が占めていることは知っている。だけど、彼等は選挙で与党が入れ替わる度に閣僚も変わっているじゃないか。そんな連中が、施設の崩壊で反対派を殺すなんて無理だろう。」

 しかしロホが意味深な微笑を浮かべたので、彼は口を閉じた。政府の構成員が入れ替わっても、本質の支配者は、地下に潜っている”ヴェルデ・シエロ”だ。もし”シエロ”に不都合なことが起きれば、反対派、この場合は”シエロ”に敵対する人間、を公共施設に集めて抹殺することは可能かも知れない。

「ロホ・・・」

 ロホが優しい笑みを彼に向けた。

「我々は守護者です。」

と彼は言った。

「政権の反対派など、問題ではありません。」


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