2022/04/18

第6部  虹の波      3

  森の中は下草が多かったが、明るく、歩きやすかった。それに”ヴェルデ・シエロ”と一緒なので蛇や毒虫も寄って来ない。少佐が先頭で、テオを挟んでデルガドが殿を務めた。テオは何故少佐のお供が文化保護担当部の隊員ではなく遊撃班のデルガド少尉なのか、理由がわからなかった。遊撃班は通常2人1組で行動する筈だ。それで歩きながらその疑問を口にすると、少佐が教えてくれた。

「文化保護担当部は申請書類が溜まって忙しいので、一番最終的な仕事をしている私が出張しているのです。」

 つまり、申請書審査を担当するギャラガ少尉やデネロス少尉は多忙だ。警護の規模を考えるアスルも多忙で、警護費用や申請者に請求する協力金を計算するロホも忙しい。最終審査をして署名する少佐が、一番時間の余裕があるので、出張って来たと言っている訳だ。きっと文化・教育省の会議に出席したくないのだろう。
 ケツァル少佐の短い説明が終わったので、デルガド少尉の番だ。

「遊撃班は指揮官のセプルベダ少佐を含めて26名ですが、まだステファン大尉が厨房勤務なので、1人余ります。セプルベダ少佐は今回のテロリスト捜査に2名ずつ振り分けて、私が残りました。私は憲兵隊からもたらされる情報を分析して同僚に伝える役目を仰せ使っていましたが、レンドイロ記者がアスクラカンの無名の遺跡に誘い出された可能性が出て来ました。セプルベダ少佐は私をテロリスト捜査から外し、記者の捜索へ配置変えしたのです。」
「君一人だけを?」
「私は以前アスクラカンでディンゴ・パジェの捜索と捕縛を行ったので、ここでの森の歩き方はわかるだろうと。それに文化保護担当部に遺跡での捜査を手伝っていただければ、双方から1名ずつ出すことになって、2人組みが出来ると少佐はお考えになったのです。」
「すると、ケツァル少佐が出張ったのは、セプルベダ少佐の要請があったからか?」

 少佐と少尉が同時に「スィ」と答えた。最強の”ヴェルデ・シエロ”グラダ族のケツァル少佐と、一番力は弱いが情報収集活動では優れた能力を発揮する”ヴェルデ・シエロ”グワマナ族のデルガド少尉のコンビだ。テオはあのずんぐりしたセプルベダ少佐の賢人の様な風貌を思い出し、案外最適コンビをセプルベダが最初から考えていたんじゃないか、と想像した。

「レンドイロを誘い出した男は何者だったんだろう? レグレシオンの仲間だろうか?」
「それはわかりません。彼女に遺跡を見せると言って誘い出したのか、それとも他にも仲間が隠れていて、彼女を拉致したのか。しかし彼女は考古学の研究を取材している雑誌記者で、建造物の構造や崩壊させる仕組みを調べる専門家ではありません。専門家の話を聞くのが仕事の記者に、どんな用件があったのでしょう。」

 仲間がテロリストを追っている時に、行方不明の雑誌記者の捜索を命じられたデルガドは、不満ではないのか、とテオはちょっぴり心配したが、デルガド少尉はそんな小さな悩みなどない様に、森の中に注意を払っていた。だから通り道から少し離れた所で落ちていた赤い紙の切れ端を見つけたのも彼だった。それは雨で何度も濡れて溶け掛けていたが、雑誌の一部に見えた。ケツァル少佐はそこで立ち止まり、周辺を見回した。そしてさらに数片の紙屑を見つけた。

「雑誌を破り捨てた様だな。」

とテオは呟いた。振り返ると、低木の森であったが、どの方向から来たのかわかりにくくなっていることに気がついた。もうアスクラカンの街並みも、農村地区の風景も見えない。ここで置き去りにされると町への方角がわからない。太陽はほぼ真上だ。
 少佐が進みましょう、と言った。デルガドが黙ってテオに水筒を渡してくれた。”ヴェルデ・シエロ”達は時々通り道の樹木の葉を噛んだりしている。それで水分を補給しているのだろう。テオに薦めないのは、植物に含まれる成分が”ティエラ”には有毒である場合もあるからだ。

「デルガドと私はレンドイロと面識がありません。」

と不意に少佐が歩きながら言った。

「もし彼女が無事なら、貴方は彼女と面識がありますから、彼女を安心させてあげて下さい。」

 その為だけに呼ばれたのか? テオは不思議に思った。少佐はレンドイロがまだ生きていると思っているのだろうか?

「今向かっている遺跡は、行ったことがあるのかい?」
「ムリリョ博士とケサダ教授は行かれたことがあります。私は”心話”で情報を頂きました。」
「ムリリョ博士とケサダ教授は行った?」
「スィ。お2人は”シエロ”の遺跡をチェックする仕事をされています。発掘されていなくても、荒らされていないか不定期に見回っておられるのです。教授はディンゴ・パジェがこの付近に逃亡した時も、来られていました。」

 すると突然、ピリッと空気が微かに震動した。ケツァル少佐が足を止め、テオも思わず後ろを振り返った。デルガド少尉が困惑した表情で立っていた。

「どうした、エミリオ?」
「何でもありません。」

 一瞬怯えた表情が浮かんだが、デルガドは直ぐに平静に戻った。テオは彼が何に反応したのか、思い当たって、ハッとした。前を振り向くと、ケツァル少佐が肩をすくめ、再び歩き出した。彼女も思い当たることがあったのだろう。だが言葉に出してはいけないことだ。デルガドも忘れたことを思い出してしまって後悔しているだけで、誰にも話すつもりはない。
 テオはデルガドが”見てはならぬ者”を見たと聞いた時、あの人がディンゴ・パジェを追っていたのだとばかり思っていた。あの人が”砂の民”だと思い込んでいたからだ。しかしケツァル少佐から思い違いだと言われて、あの人がアスクラカンにいた理由がわからなくなった。だが、今になって少佐が説明してくれた。あの人は犯罪者を追いかけていたのではなく、遺跡を見回りに来ていただけだ。そして偶々森に隠れていたパジェを見つけ、パジェを捜索していた大統領警護隊を見つけたに過ぎなかった。
 デルガド少尉は、”見てはならぬ者”が誰だったのか、推測出来た。だが決してそれを口に出してはならない。一緒に同じ者を目撃した同僚にすら告げてはならない。彼は十分に掟を理解していた。 
 3人はそれから半時間ばかり無言で歩き続けた。次第に樹木が高くなり、高い位置で茂る葉が日光を遮り、薄暗くなってきた。
 不意にケツァル少佐が足を止めた。テオは危うく彼女の背中に接近しそうになって、立ち止まった。少佐が片手を挙げて、後ろの2人に待機と合図した。テオは最後尾のデルガドが気配を消したことに気がついた。まるで一人で森の中に立っている気分だ。
 少佐がアサルトライフルを腰だめの位置に構えて静かに前の藪に入って行った。

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