2022/04/07

第6部  赤い川     3

  テレビの画面にレンドイロ家の人々が映っていた。母親が娘ベアトリスの顔写真を貼ったボードを掲げ、父親が涙ながらに娘の行方を知っている人がいたら連絡して欲しいと訴えた。ベアトリスの弟妹は無言で固い表情をカメラに向けていた。家族と共に出演したシエンシア・ディアリア社の社長もベアトリスがいかに優秀な記者で素晴らしい記事を書いてきたかを語り、彼女の無事を祈っていると言った。最後にテレビ局のスタッフが登場し、連絡先としてシエンシア・ディアリア社の電話番号とメールアドレスを告げた。
 テオは溜め息をついた。ベアトリスと最後に言葉を交わした人間として、憲兵隊から事情聴取を受けたが、彼とて何も情報を持っていなかった。そもそもレンドイロ記者がどんな要件でオルガ・グランデに向かっていたのかも知らなかった。彼女がアスクラカンでバスを降りてからの目撃情報が少し出て来たのは翌日だったが、彼女がバスターミナルの公共トイレを使用したことや、売店でコーラを買って飲んだ、と言う程度だった。彼女が何時バスターミナルを離れたのか、誰も知らなかった。
 アスクラカンから行ける遺跡は、どこもジャングルの中を数時間車で移動しなければならない。彼女が気を変えてカブラロカ遺跡に向かったとしても、車を雇うしか方法がない。憲兵隊は白タクも含めて運送業者を調べたが、女性を乗せて遺跡へ行った人間はいなかった。
 ベアトリス・レンドイロ記者の失踪が大きな話題になったのには、理由があった。シエンシア・ディアリア誌とは趣が異なるゴシップ誌が、この事件を取り上げ、こんなことを書いたのだ。

 シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ編集長が失踪したのは、彼女が”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の秘密に迫ったからである。

 ”ヴェルデ・シエロ”の名前を誌面に出すこと自体がタブーに近かったセルバ社会で、この記事は大きな衝撃を市民に与えた。噂話をタブーとするセルバ人達が、連日カフェやバルでこの話をネタにして語り始めた。ゴシップ誌”ティティオワの風”は一躍雑誌の売り上げが伸びた。田舎町でも販売されたので、テオも買って読んでみた。”ティティオワの風”はアスクラカン出身の経営者が運営する雑誌社と雑誌の名前で、本社はグラダ・シティにあった。雑誌は、レンドイロ記者が失踪する前の1ヶ月間、ある人物と頻繁にSNS上でやり取りしていたこと、その内容は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の建築特性に関するものであったこと、やり取りの相手はオルガ・グランデに住んでいるとプロフィールに書かれているが、まだその身元の確認は取れていないこと等が書かれていた。
 オルガ・グランデは古代”ヴェルデ・シエロ”社会で建築に携わっていたマスケゴ族の子孫が多く住んでいた都市だ。セルバが植民地化された頃にマスケゴ族の主力はグラダ・シティへ移住したが、マスケゴ系の住民が鉱山地帯にまだ多く住んでいる。そうした人々は現代でも純血種のマスケゴ族がオルガ・グランデを訪れると、彼等を慕って集まったり、仕事の下請けを買って出たりすると、テオは聞いたことがあった。もしそうした人々の中で、純血種に不満を抱いていたり、或いは既に”ヴェルデ・シエロ”と認められない程血が薄くなった人がいたりして、先祖の文化や文明を調べて雑誌記者に情報を売っていたとしても、おかしくないだろう。
 レンドイロとS N S上でやり取りをしていた相手は、記者が行方不明になったと最初にシエンシア・ディアリア誌の社員がS N S上に書き込んで以来、沈黙してしまった。ゴシップ誌”ティティオワの風”は、その相手こそレンドイロ記者失踪の鍵を握るのではないか、と締め括っていた。
 テオは雑誌の記事を見つめ、暫く考え込んだ。レンドイロとやり取りをしていた人物は、彼女の味方だったのか、敵だったのか。会ってみなければわからない。彼がこの事件に首を突っ込むことに、ケツァル少佐は反対するだろう。しかし、レンドイロと最後に出会った人間の一人として、テオは何もしないでいることが歯痒かった。散々考え抜いてから、彼はある人物に電話をかけた。取り次いでもらえると期待していなかったが、先方の秘書は取り次いでくれた。
 見慣れた顔が画面に現れ、聞き覚えのある声が電話の向こうから聞こえてきた。

ーーアンゲルス鉱石取締役社長、アントニオ・バルデスです。
「テオドール・アルストです。」

 数秒黙ってから、バルデスが「お元気ですか?」と訊いてきた。テオは型通りの挨拶を手早く済ませ、すぐに要件に入った。

「貴社に迷惑をかけたくありません。ただコンピューターを使わせて欲しい。通信システムの解析が出来るコンピューターをお持ちですよね?」

 アンゲルス鉱石はセルバ共和国で1、2を争う大企業だ。最新技術のI T技術も持っている。そんな企業の頭脳と言うべき場所に、部外者を入れる筈がなかった。果たしてバルデスは言った。

ーーどんな要件です? 時間がかかるのですか?

 テオは正直に答えた。

「今、セルバ社会を賑わせている雑誌記者の失踪事件をご存知ですね?」
ーースィ。
「彼女がS N S上でやり取りをしていた相手を特定したいのです。氏名と住所が分かれば、それで十分ですが・・・」

 バルデスがちょっと考えてから確認してきた。

ーーベアトリス・レンドイロと言う女の、話相手ですか?
「スィ。その正体を知りたい・・・」
ーー調べさせます。結果は今お使いの電話にメールで送らせて宜しいですか?

 アントニオ・バルデスは決して善意の人ではないが、セルバ共和国を愛している。そして古代の神を信仰している。彼は決して大統領警護隊を怒らせたくない。ケツァル少佐の機嫌を損ねて遺跡が埋もれている地下の坑道採掘権を失いたくない。だから少佐と仲良しのテオの細やかな要求をあっさり受け容れてくれた。
 1時間後、テオの携帯にメッセージが入った。バルデスからだった。 男性の名前とオルガ・グランデ市内の住所が書かれていた。


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