2022/05/11

第7部 南端の家     6

  隠れん坊と言えば子供の遊びを連想するが、大統領警護隊の隠れん坊は軍事訓練だ。遊撃班の隊員の半数13名と警備班の2班がジャングルの中で隠れん坊をしていた。警備班にとっては半年に一度の野外訓練だ。森の中に築いた「砦」を守り、遊撃班の攻撃を防ぐ訓練だ。遊撃班の方は半数ずつ交代で2ヶ月に1回行っているから手慣れている。仲間とは言え、手強い相手だ。そして勿論、彼等は実弾を用いる。自然保護の観点から迫撃砲使用は3回迄と決められているが、何時撃って来るかわからないので、警備班は気が抜けない。
 その時、2日間の訓練に参加した警備班は第7班と第8班だった。第8班はこの野外訓練が無事終了すれば2ヶ月の休暇に入る。だから彼等は張り切っていた。ヘマをして休暇が延期されては堪らない。
  第8班のビダル・バスコ少尉も緊張と希望で張り詰めた気分で砦の搦め手を守っていた。休暇をもらったら、実家の母親とボーイフレンドをメキシコ旅行に連れて行く計画だった。母親と彼氏は町医者だ。地域の住民の健康を守り、親身になって治療を行う医者だ。ビダルにとって自慢の”両親”だった。昨年ビダルの弟ビトが突然非業の死を遂げ、母親に過大な心の負担をかけてしまった。そばにいてやりたかったが、大統領警護隊から与えられた臨時休暇だけでは足りないと彼は感じていた。母親の彼氏が母親を支えてくれたことに心から感謝した彼は、2人にも休暇を与えたかった。この訓練に失敗は許されない。彼はそう心に言い聞かせていた。
 陸軍航空部隊のヘリコプターが上空を通過した時、大統領警護隊は1日目の訓練に入っていた。遊撃班が砦を攻撃し、警備班が死守する訓練だ。突貫工事で築かれた砦は銃弾と砲撃で壁を穴だらけにされてしまったが、警備班は遊撃班が壁の内側に入り込むことを辛うじて防ぐことに成功した。3名が負傷したが、軽傷で済んだ。ビダルも迫撃砲の爆風を喰らったが、どうにか結界を張って近くにいた仲間共々無事に1日目を過ごせた。
 夜は夜襲に備える訓練で、碌に眠れなかった。効率的に休息を取る訓練だ。夜襲をかけてきたのは、彼等警備班のリーダー2名を含む上官チームで、人数は少ないが半端なく手強かった。なんとか砦の真ん中の「女神像」代わりのコカコーラのボトルを死守した。あと30センチの距離で部下達に押さえ込まれた上官は苦笑した。
 
「コーラのボトルの前に花なんか供えるなよ、モロに障害物になっているじゃないか。」

 一同は疲れていたが、爆笑した。
 2日目は規定範囲内のジャングルに隠れた遊撃班を警備班が探し出して捕らえる訓練だった。度重なる訓練で森を知り尽くした遊撃班を見つけ出すのは難しかった。一度など、本物のマーゲイを遊撃班のエミリオ・デルガド少尉のナワルだと勘違いして捕まえたら、手酷く引っ掻かれた警備班隊員もいた。デルガドは変身などせずに高い木の上で静かに座っていただけだった。
 昼過ぎに訓練は終了し、大統領警護隊は散らばった銃弾や薬莢の回収を開始した。カウントを間違えると面倒なことになるので、全員真剣だ。迫撃砲弾の破片も残らず回収だ。
 1時間かけて作業して、最後の一発を全員で探していると、ビダルの視界に不自然に動く藪があった。彼はライフルを肩から下ろし、構えた。気を抑制し、静かに藪に近づいた。木の枝をかき分けた途端に、泥の塊が飛んできた。彼は際どい距離でそれを空中で砕いた。泥が飛び散った。安心する間もなく、次の塊が飛んで来た。ビダルは怒鳴った。

「止めろ!」

 視界の中に子供がいた。泥だらけの顔で、無表情のまま、手に泥を掴んでいた。男の子、年齢は7、8歳か? 先住民だが、こんな奥地に村があっただろうか? 村がないから実弾演習の場所として幹部はこの森を選んだ筈だが。
 ビダルは子供に銃口を向けたくなかったが、ゲリラは子供でも殺人者に仕立て上げる。だから彼は銃を向けて話しかけた。

「大統領警護隊だ。君はどこから来た? 名前は?」

 子供はぎゅっと口を結び、泥を握る手を挙げたままだ。ビダルは気がついて銃を下ろした。

「泥を投げなければ、撃たない。君は誰だ?」

 だが子供の顔に浮かんだ怯えは消えなかった。ビダルは思った。彼の黒い肌が子供を怯えさせているのではないか、と。彼は応援を呼んだ。鳥の囀りに似た声だが野鳥ではない、そんな甲高い音を喉から発した。子供は荒い息をしながら彼を睨みつけたままだった。

「どうした?」

 微かな足音の後で、男の声がビダルの背後から聞こえた。”ヴェルデ・シエロ”の言語だ。ビダルも同じ言語で答えた。

「子供がいる。名前を聞いたが答えない。私の肌の色に怯えている様だ。」

 間もなく彼の横に遊撃班の隊員が姿を現した。ファビオ・キロス中尉だ。彼は子供を確認し、ビダルをチラリと見た。スペイン語で話しかけた。

「脅かすようなことを言ったか?」
「ノ。銃を向けただけです。だが、森でいきなり私の様な風貌の男が現れたら、びっくりするでしょう。」
「別に君の姿は珍しいものじゃない。」

 キロス中尉は子供に1歩近づき、腰を屈めた。

「大統領警護隊だ。泥を捨ててこっちへ来なさい。」

 しかし、返答は彼の顔めがけて飛んで来た泥の塊だった。キロス中尉はそれを空中で破壊したが、飛沫を避けきれなかった。その隙に子供が背中を向けて走り出した。ビダルは追った。


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