2022/05/09

第7部 南端の家     5

  トロイ家の殺人事件(と勝手にアスルは決めた)は警護の兵達には通知されたが、学生達には秘密に臥された。ンゲマ准教授にだけは秘密にしておけないので、アスルとアレンサナ軍曹は持っている情報だけを伝えた。ハイメ・ンゲマ准教授はまだ30代前半だが、老成した風貌で、実際落ち着きのある男だった。黙って事件発生の話を聞き、それから警護兵達に質問した。

「学生達の安全の為に、一旦発掘隊を引き上げさせるべきだろうか?」

 アスルは今回の発掘の為にンゲマと学生達が周到に準備と計画を繰り返し確認し、資金も自分達で調達した努力を知っていた。

「遺跡と野営地を決して離れない、我々の目の届く場所から出ない、それを守ってもらえれば、我々は調査中止を強いることをしない。」

 遠回しのセルバ流の言い方だ。中止したかったらすれば良い、続行するならすれば良い、どちらでも良いぞ、と調査隊に判断を委ねる言い方だった。
 ンゲマもがむしゃらに研究を重視して学生の命を疎かにする男ではなかった。彼は約束した。

「警護側からの言いつけを学生達に守らせる。一人でも違反すれば、その時点で、中止を申し渡してくれて結構。」

 流石にムリリョ博士とケサダ教授の一番弟子だ、とアスルは感心した。無理を通して発掘許可を取り消されることを恐れている。学生達を危険に曝して大学から追放されたくない。彼自身の名誉にも関わることだ。セルバでは、目下の者、年下の者、弱い者を守れない男は男ではない、と言う風潮がある。それは力を用いて闘うことだけでなく、その時の判断能力も含めていた。ンゲマが今迄都市近郊の安全地帯ばかりを掘っていたのも、ゲリラの出没が一時期活発になっていたからだ。彼が都会から離れた場所へ行く時は、大概師匠達と一緒だった。彼は知らないが、師匠は2人共”ヴェルデ・シエロ”だ。
 学生達の管理をンゲマに任せ、アスルとアレンサナ軍曹は警戒を強化した。密かに遺跡周辺にトラップを仕掛け、森から近づく者があれば音が鳴るようにしたり、足を輪で捉えて樹上に跳ね上げて捉える罠を置いた。

「外から来る人間だけでなく、言いつけを破って出かける学生も捕まえられますね。」

とアレンサナが愉快そうに言った。アスルもちょっと学生達に意地悪してみたい気分で頷いた。彼も2年程前はグラダ大学考古学部の学生だった。通信制だったので学生として発掘に参加したことはなかったが、ケツァル少佐やステファン、ロホに付いて監視業務に就いたことがあった。学生達は年上で裕福な家庭の子供達だ。小柄で純血先住民のアスルはよく揶揄われた。大統領警護隊の恐ろしさを知らない若者達の奢りを、アスルは経験した。だが、アスルはオクターリャ族の英雄だ。僅か12、3歳で100年近い過去に時間跳躍して伝染病で死に絶える寸前だった村を救った一族の英雄だった。彼は忍耐を学んでいた。世間知らずの学生達が「ガキ」に見えたので、相手にしなかった。当時の学生達と、今彼が護衛している学生達は違う人々だ。しかし時々学生達は規則破りスレスレの行為で警護兵達をドキリとさせる。だからアスルは彼等にちょこっとお灸を据えたかった。
 アデリナ・キルマ中尉がやって来た日の夕刻、アレンサナが仕掛けた輪罠で野豚が獲れた。豚は直ちに兵士の手で解体され、その夜の夕食の材料になった。アスルは肉とスープの容器を受け取り、ンゲマ准教授のテント前へ行った。准教授は発電機を使って電灯を灯し、遺跡の背後にあるメサの洞窟を撮影した写真をテーブルの上に並べていた。アスルはテーブルの端っこにスープの容器を置いた。ンゲマが彼に気づいて顔を上げた。

「サラか?」

 アスルの問いに彼は頷いた。

「まだ天井の開口部を見つけていないが、必ずある筈だ。明日、洞窟の中に入ってみる。」

 完璧なサラを発見することが彼の悲願だった。過去に発見されたサラの遺構は全て審判の部屋の部分が崩落していた。故意に爆破で崩されたオクタカスのサラ以外は、放棄された後長い年月の間に天井部分が脆くなり、自然に崩落したのだ。

「開口部を見つけてからにした方が良い。」

とアスルは反対した。

「天井部分の状態を確認して、問題ないと思ったら洞窟に入ると良い。中に入って天井が崩れたら、逃げ場を失って大怪我で済まなくなる。」
「だが、今は屋根の部分へ登るのは御法度だろ? 殺人犯がいるかも知れないんだ。」

 メサの上部はアスルが定めた警護範囲の外になるのだ。アスルは警護範囲を広げるつもりなどなかった。陸軍兵達を疲れさせることは出来ない。

「後3日、我慢して欲しい。食糧調達の日に村から業者が来るだろう? その日に罠などを除いておく。」

 ンゲマは一瞬不満げな顔をしたが、理性で押さえ込んだ。相手が大統領警護隊だから我慢するのではない。自分達がジャングルの僻地にいて、近くで殺人事件が発生して、犯人が捕まっていない、そんな状況下にいることを理解していたからだ。

「わかった。洞窟は逃げたりしない。中尉の言に従う。」


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