2022/05/16

第7部 南端の家     13

  夕食の後片付けが終わる頃に、陸軍特殊部隊と憲兵隊の捜査車両がカブラロカ渓谷から戻って来た。ステファン大尉はエステバン・トロイ少年を宥めすかし、何とかビダル・バスコ少尉から引き離し、憲兵隊と共にオクタカス支部へ連れて行った。
 2時間後に再び少年を連れて戻って来た大尉は疲れた表情だったが、ビダルに「一晩一緒にいてやれ」と少年を返した。そして大尉自身はアクサとロノイ両大尉を促し、一緒に格納庫から出て特殊部隊の格納庫へ向かった。
 格納庫の外に現場から戻った陸軍特殊部隊第17分隊の隊長アデリナ・キルマ中尉が待っていた。簡単な挨拶を交わしてから、まずステファン大尉が保護した少年の情報を彼女に与えた。そしてロノイ大尉が現在世間で報道されている捜査内容を伝え、アクサ大尉が3時間前に格納庫の外に近づいた怪しい気配について伝えた。
 キルマ中尉はそれらの情報を暫く頭の中で吟味してから、現場の捜査情報を伝えた。

「被害者は渓谷の入り口でトウモロコシを栽培していた先住民カブラ族の農夫カシァ・トロイと息子カミロ、カミロの妻のマリアの3人。3人共に鋭い刃物で全身をめった斬りされていました。恐らく農業用の鎌を振り回されたのだと思われます。鎌は血で汚れた状態で畑の外れに放置されていました。殺害された順番は分かりませんが、カミロがマリアを庇う形で倒れていたので、夫婦は同時に襲われたものと推測されます。夫婦は家の中で殺害されており、床に血溜まりを踏んで付いた足跡が無数にありました。スニーカーの足跡です。一種類だけでしたから、犯人は1人と思われます。同じ足跡が外で死んでいたカシァの周囲にも残っていました。家の中に物色した跡はなく、物取りとは思えません。
 戸口に子供の勉強道具が入ったカバンが落ちていたので、下の子供が帰宅して現場を目撃したと思われました。エステバンと年上の息子の行方を探しましたが、見つからず、兄の方は事件発生日から学校にも友達のところにも現れていません。憲兵隊が指紋を数カ所から採取していますが、我々にはまだ情報はありません。」
「犯人を追跡出来なかったのか?」

 ロノイ大尉が、”ヴェルデ・シエロ”なら出来るだろうと言うニュアンスで言った。キルマ中尉は大統領警護隊の「上から目線」を無視した。

「樹木の葉などに付着した血痕や地面の足跡を追跡しましたが、カブラロカ川に犯人が入ってしまったようで、川から痕跡が途絶えました。」
「川か・・・」

 ステファン大尉が呟いたので、残りの3人が彼を見た。ステファンが思ったことを言った。

「犯人は川を歩いて下流へ向かったのだろう。ところが2日目に上流で遊撃班のキロス中尉と警備班のバスコ少尉が下の子供のエステバンを見つけ、川で子供の体を洗ってやった。犯人はエステバンの気配を感じ、追跡を始めたのだ。そしてここまで追ってきた。」
「そんなことが出来るのは、”ティエラ”ではないですね。」

 キルマ中尉が眉を寄せた。ロノイ大尉が囁いた。

「何か悪い物に取り憑かれた”ティエラ”なのかも知れん。例えば、行方不明になっている上の息子・・・」

 暫く4人の”ヴェルデ・シエロ”達は沈黙した。悪霊に取り憑かれて人を殺めた例は過去にもあった。どれも官憲に射殺されたり、捕まって精神病院に閉じ込められてそれっきりだ。憲兵隊も警察も、”ヴェルデ・シエロ”に救いを求めない。悪霊祓いをしてもらって正気に帰っても、世間が許さないからだ。どんな理由があっても人殺しは人殺しだ、とセルバ人は考える。正気に帰って社会に戻されても世間は受け容れてくれない。結局別の犯罪に走ったり、精神に異常を来したり、自死してしまうのだ。

「もし、犯人がアベル・トロイだとして、彼の犯行だと立証できなければ、憲兵隊は手を出せないだろう?」

とステファン大尉が言った。残りの3人はまた彼を見た。「元ケチなこそ泥」のステファン大尉は考えを述べた。

「アベルを我々が捕まえ、祓いをして正気に帰す。恐らくアベルには犯行時の記憶がないと思う。だから、そのままエステバンと共に残りの人生を生きさせる・・・」
「アベルはそれで良いかも知れないが、エステバンは何かを見たんじゃないか?」

 アクサ大尉が言った。

「憶測だけで我々が論じ合っても仕方がない。明日、警備班は本部に帰還する。後は遊撃班に任せる。」

 彼はキルマ中尉を見た。キルマ中尉は肩をすくめた。

「私の隊は憲兵隊の援護をしただけですから、捜査にこれ以上首を突っ込みません。少なくとも、ゲリラの仕業でないと結論を出しました。」

 一番年長のロノイ大尉が頷いた。

「では話はまとまった。それぞれの職務を果たそう。解散だ。」

 警備班の大尉達が格納庫に戻った。ステファン大尉は怪しい気配が現れたと思われる方角の森を眺めた。するとキルマ中尉が声をかけて来た。

「カブラロカの遺跡にクワコ中尉がいました。」

 ステファン大尉が振り返った。

「アスルが?」

 文化保護担当部時代から弟の様に可愛がってきた元部下だ。尤もアスルの方も2歳年上のミックスの上官を弟扱いしていたが・・・。

「元気そうでしたか?」
「スィ。すっかり指揮官が板についていました。」

 ステファンは微笑した。弟分の成長が誇らしくあり、またちょっと寂しかった。一緒に大きな遺跡で警備の指揮を執りたかったな、と思った。

「情報、有り難う。今夜はゆっくり休んで下さい。」

 キルマ中尉の豊かな胸にともすれば向いてしまいそうな視線を制御して彼は手を振り、背を向けた。



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