2022/05/16

第7部 南端の家     14

  一夜明けて、大統領警護隊第7班と第8班は手早く格納庫内でのキャンプの撤収を始めた。朝食は作業が終わってからだ。忙しいので、ビダル・バスコ少尉は毛布にくるまったままのエステバン・トロイを遊撃班の場所へ連れて行った。まだ撤収指示が出ていない遊撃班は、キャンプの後片付けを後回しにして、朝食場所の設営を行なっていた。警備班の分も用意しておくのだ。管理人が来るのは食事が終わる頃になる。朝食準備は大統領警護隊が自分達で行うのだった。指導師の資格を持っているステファン大尉が簡略された食材清めの儀式を行い、隊員達がすぐさま調理に取り掛かった。床に下ろされたエステバン少年は目を覚ましており、大人達の作業を珍しそうに眺めていた。一晩暖かい場所で眠ってかなり落ち着いた様子だった。隊員達は誰も事件の話も昨夜の怪しい気配の話もしなかった。箝口令が敷かれていたのではなく、普段から無駄口を叩かないだけだ。それにまだ軍事訓練は本部に無事帰投する迄続いているのだ。
 キャンプの撤収が終わったが、朝食の支度はまだ終わっていなかったので、警備班の隊員達は格納庫の外に出てランニングをした。陸軍航空部隊や空軍も朝の日課をこなしているのが見えた。デランテロ・オクタカスは半官半民の飛行場なので、民間航空会社も格納庫を持っている。そちらは朝一番の便を飛ばす会社だけが扉を開き、プロペラ機の整備を行なっていた。他の会社はまだ仕事を始めていない。ロノイ大尉もアクサ大尉も部下達を指揮しながら、民間格納庫の様子を伺っていた。何か異変があればすぐに駆けつけなければならない。だが朝日が射す飛行場は平和そのものに見えた。
 ロノイ大尉はビダル・バスコ少尉をチラリと見た。半年前に部下の家族に降りかかった悲劇を彼はまだ覚えていた。だからバスコが森の中で保護した少年に未練を抱く感情はわかっているつもりだった。しかし大統領警護隊は個人的感情で行動を取ってはならない。特に現在のビダルは少年に感情移入しやすい精神状態だとロノイ大尉は判じていた。それは国民の安全を守るために集中しなければならない大統領警護隊にとって命の危険に関わることだ。常に第三者の目で物事を見なければならない。それ故、ロノイ大尉はビダルからエステバンを引き離すことを決断していた。少年のためではない、ビダルのためだ。
 飛行場のフェンスの向こうに人影が見えた。滅多に見られない大統領警護隊を見ようと集まったデランテロ・オクタカスの若者達だ。国民にとって畏怖の対象であり、憧れの存在である大統領警護隊。決してその期待に背いてはならないのだ。
 突然、その見物人の人垣の中で叫び声が上がった。ワーっとか、ギャーとかそんな悲鳴だ。大統領警護隊は一斉にそちらへ注意を向けた。第7班がそちらへ走った。ランニング中も抱え持っていたアサルトライフルを前に向けた。指揮官の命令を待たずに、誰かが発砲した。人垣が左右に分かれ、悲鳴は小さくなったが、騒ぎは収まらなかった。フェンスを跳び越えた隊員達が何かを取り囲み、若者達に怒鳴っていた。

「ここを離れるな!」
「騒動の発端を見た者はいるか?」

 ロノイ大尉は第8班に飛行場周辺の封鎖を命じた。

「その若い連中をどこにも行かせるな。事情聴取する迄足止めしろ。」

 部下達が散開すると、ロノイ大尉はアクサ大尉のそばへ行った。

「何があった?」
「あの男が見物人に襲いかかった。」

 アクサ大尉が顎で示した先に、地面に男が1人倒れていた。左肩を撃ち抜かれ、苦痛で呻いていた若い男は、血まみれの服を着ていた。地面に鉈の様な刃物が落ちており、別の男性数名が腕や顔から血を流しているのが見えた。怪我人は第7班が直ちに応急処置に取り掛かっていたが、撃たれた男はまだだった。その男は後ろ手に縛られるところだった。大尉達は、その男が、男と呼ぶにはまだ幼さが残る少年だと気がついた。ロノイ大尉が呟いた。

「まさか、アベル・トロイか?」


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