2022/05/17

第7部 南端の家     15

  銃声を耳にした遊撃班の隊員達が格納庫の口に集まっていた。警備班2班で事足りると思ったのか、フェンス際へ来ないで様子を伺っていた。救急車と警察車両がやって来るのを見て、アクサ大尉は部下に犯人と思しき若い男を格納庫へ連行するよう命じた。

「見た限りでは祓いが必要と思われる。この状態のまま警察に渡すのは危険だ。」

 格納庫の口では、ステファン大尉がフェンスの向こうの様子を眺めていた。警備班達は怪我人の応急処置を施し、足止めした見物人に事情を聞いていた。そこへ町の救急車と民警が来た。騒ぎが収まりかけた頃に憲兵隊もやって来た。
 警備班第7班が引き摺ってきた若い男を見て、ステファンは格納庫の中へ入れろと命じた。

「テントを張って、中に入れておけ。恐らくその若者の中に何かがいる。」

 ステファン大尉が結界を張るのが苦手だと知っている部下達は素早く行動した。管理人やエステバン少年がいる位置から離れた場所にテントを張り、そのテントの周囲を円陣で囲んだ。ステファン大尉は己の荷物から30センチメートル程の大きさの木像を取り出した。顔と胴体だけの木偶で、目鼻はない。
 テントの中に押し込まれた若者は、白目を剥いて、唸っていた。狂犬病に罹った犬の様だ。皮膚にも衣服にも血が着いているが、黒ずんでいて異臭を放っており、2、3日経った古い物だとわかった。新しい血痕は先程フェンスの外で襲われた見物人の血だろう。後ろ手に縛られていたが、歯を剥き出して近づく者を威嚇するので、警備班に撃たれた肩の傷は放置されたままだ。そこからも血が流れていた。狙撃者は肩を撃ち抜いたので弾丸は体に残っていない。振り回していた鉈を落とすために撃たれたのだ。
 ステファン大尉は部下をテントから出すと、1人で若者の前に屈み込んだ。顔を見つめ、視線を合わそうとしたが、白目を剥いたままなので不可能だった。恐らくこの男は、アベル・トロイだ、とステファンは思った。何かが取り憑いている。ステファンは己と若者の間に木偶を置いた。木偶は顔はないが裏表はあるので、表を少年に向けた。グァっと若者が威嚇する声を出した。ステファン大尉はいきなり彼の頭部を左右から手で押さえた。同時に気を若者の目に向かって放った。

「ギャーーーー!」

と若者が悲鳴を上げた。テント内に一瞬白い粉でも舞ったように粗い粒子の渦が生じた。テントが空気を注入されたかの様に膨張し、1秒後に3箇所が裂けた。円陣を組んでいた12人の大統領警護隊遊撃班は結界を張る気をマックスに高めた。その結界に白い渦が押し戻され、木偶の頭から吸い込まれて、やがて消えた。
 若者ががくりとその場に崩れ落ちた。ステファン大尉は床に尻を突け、部下の誰にともなく命じた。

「そのガキを手当してやれ。」

 2人が若者を破れたテントから出し、腕を縛っていた革紐を切り、汚れた衣服を脱がした。残りの部下達は大尉が手を振ったので、テントを片づけ始めた。キロス中尉が木偶を見た。

「悪霊ですか?」
「スィ。何者なのかは知らんが、私の力でなんとか封じ込めた。かなり強引だったがな。」
「強引?」
「グラダの力の大きさで少年の体から追い出し、木偶に追い込んだ。それだけだ。セプルベダ少佐の様に悪霊を納得させて沈静化させた訳じゃない。だから、こいつはまだ浄化されていない。聖布の袋を取ってくれ。」

 キロス中尉はステファンの荷物から木偶が元々入れられていた布袋を取り出した。ステファン大尉はそれを受け取り、丁寧に木偶を入れて包む様に巻きつけた。革紐で袋全体を縛る様に巻き、しっかり端を結んだ。
 デルガド少尉は厨房区画を見た。管理人が出勤して来ており、エステバン少年を庇う様に立ってこちらを見ていた。”ティエラ”同然だが”シエロ”の血を引く彼等は大統領警護隊が何を行ったのか、理解していた。目撃したことを口外してはならない。彼等は掟を肝に銘じていた。
 警備班の隊員達が戻って来た。事件の後片付けは全て憲兵隊に押し付けて来たのだ。憲兵隊は見物人達から事情聴取するだろうが、大統領警護隊が確保した容疑者の引き渡しも要求してくるだろう。大統領警護隊も悪霊に取り憑かれて凶行に及んだ若者を庇うつもりなど毛頭ない。ただ、真犯人たる悪霊を憲兵隊に渡すつもりもなかった。
 エステバンが手当を受けている若者に近寄って行くのをビダルは見ていた。きっとトロイ家の大人達を殺害したのは、悪霊に取り憑かれていたアベル・トロイに違いない。エステバンはその凶行の最中を目撃してしまったのだろうか、それとも惨劇が終わったところに居合わせたのか。いずれにしても、エステバンは兄がなんらかの形で関わっていると知っているのだ。
 エステバンが少し距離を取って立ち止まった。ステファン大尉が尋ねた。

「アベルか?」

 エステバンは頷いた。ステファンが言った。

「君の兄を憲兵隊に渡す。君も一緒に行くか?」

 ビダルは大尉を見た。憲兵隊がどんな判断を下すのか、わからない。だが、どんな形でもこの兄弟にハッピーエンドは訪れない。
 エステバンが頷いた。そして気絶しているアベルのそばに駆け寄り、怪我をしていない方の兄の手を握りしめた。

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