2022/05/18

第7部 渓谷の秘密      2

  ケツァル少佐は腹違いの弟カルロ・ステファン大尉に電話をかけた。大統領警護隊遊撃班は警備班と違って時間は比較的自由だ。会議や危険な任務の遂行中でなければ、時間に関係なく出てくれることが多い。呼び出し音5回の後、ステファンの声が聞こえた。

ーー遊撃班ステファン大尉・・・

 姉からの電話だとわかっているが、彼女が私的用件で電話をかけて来る人間でないことを知っているので、役職で名乗った。ケツァル少佐も「ケツァル」と名乗った。

「今何処にいますか?」

 テレビ電話を使わないので、顔は見えなかった。背景が見えないが、背後の音が聞こえた。車のエンジン音で、車内にいるらしい。それも乗用車ではない。ステファンが雑音に負けない声で答えた。

ーーデランテロ・オクタカスからグラダ・シティに向けて車で半時間の場所です。

 そんな場所にいる理由は語らなかったし、少佐も訊かなかった。彼女は言った。

「そこからロカ・ブランカへ抜けられますか?」
ーーロカ・ブランカですか?

 ステファン大尉が怪訝そうな声を出した。ロカ・ブランカは東海岸線を通るハイウェイ沿いの漁村だ。観光客ではなく地元民御用達の海水浴場でもある。デランテロ・オクタカスとグラダ・シティの間を通るハイウェイから外れて海へ向かわなければならない。遠回りだ。

ーー何か用件があるのですか?
「出会った時に話します。貴方の荷物を必ず持って来て下さい。」
ーー部下は?
「部下が一緒ですか?」
ーー演習の帰りです。遊撃班の半数を率いています。

 少佐は考えた。ママコナは、「汚れ」を持っているのはステファンだと言った。部下は関係ないのだろうと思われる。

「部下はそのまま本部へ帰しなさい。それとも車両は1台だけですか?」
ーー指揮車両とトラックです。では、私だけが用件の対象ですね?
「スィ。 セプルベダ少佐には私から連絡を入れておきます。」
ーー承知しました。

 少佐は電話を切った。何時に落ち合うとか、何処で会うとか、そんな約束はしなかった。彼女はテオの居住区から彼女自身の場所へ戻った。手早く外出の準備をすると、カーラに言った。

「今夜帰りが遅くなるかも知れません。テオが帰ったら先に食べてもらって下さい。私は必ず今夜中に帰宅するつもりで出かけます。」
「わかりました。」

 カーラはいつも余計な質問をしない。軍人の家で働いていることを十分に承知していた。
 少佐は駐車場へ行き、彼女のベンツに乗り込んだ。車を道路に出してから、ステファンが拾った「汚れ」とは何だろうと考えた。彼女の唐突な要求に彼は素直に従うようだ。つまり、彼は己が「汚れ」を所持していることを自覚しているのだ。
 ママコナが首都に入れることを厭うもの。つまり、悪霊か? ケツァル少佐はロホに電話を入れておくことにした。車が大通りに出てしまう前に路駐して、ロホの携帯にかけた。
 ロホは2回目の呼び出し音の後で直ぐに出た。この男は文化保護担当部の仲間から電話がかかって来る時の着信音を他の人間からの着信音とは別に設定している。

ーーマルティネス・・・
「ケツァルです。貴方に知っておいてもらいたいことがあります。」
ーーどうぞ。
「”名を秘めた女の人”から要求がありました。カルロが持っている『汚れ』を聖都に入れるなと言うものです。」
ーーカルロの『汚れ』ですか?

 ロホの声に不安が混じったので、少佐は彼の誤解を解こうとした。

「カルロが汚れているのではなく、彼が持っている物が汚れていると言う意味です。本人も自覚している様でした。」
ーー”名を秘めた女の人”が厭う物ですね。祓いが必要なのですか?
「恐らく、カルロはセプルベダ少佐に祓ってもらうつもりで持ち帰って来る最中だった様です。でもママコナはその物がグラダ・シティに持ち込まれるのを嫌がっています。」
ーーセプルベダ少佐にはご依頼がなかったと言うことですか。
「”名を秘めた女の人”は女性に話しかける方が気楽な様です。」

 実際、”曙のピラミッド”の当代ママコナは女性の”ヴェルデ・シエロ”にお気楽に話しかけてくることが多い。まだ若いので、男性に話しかけるのが気恥ずかしいのかも知れない。ロホは男ばかりの兄弟の家で育ったが、父や兄達ではなく母親の方がママコナの声をよく聞いていた。母親は儀式に関わらない人だが、儀式に関する質問をママコナから受けて、ロホの父親に質問してから返答をしていた。
 ケツァル少佐は言った。

「貴方の助力が必要になった場合に、助けを求めます。よろしいですか?」
ーー承知しました。いつでもお呼び下さい。



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