2022/05/19

第7部 渓谷の秘密      3

  ロカ・ブランカに到着したのは昼過ぎだった。観光地として成り立っている町ではないので、ハイウェイから離れると店らしき施設は殆ど見当たらない。ケツァル少佐は前年に宿泊した宿屋へ行った。昼間は食堂として営業しているので、そこで軽く昼食を取った。女性の一人旅は珍しいのか、客や従業員の目を集めたが、彼女が持つ独特の雰囲気、つまり「この女は只者ではない」感じが男達に威圧感を与えた。それは決して彼女が尊大な態度を取ったのではなく、彼女が”ヴェルデ・シエロ”の気を放っていたからだ。普通の人間達は、彼女が何者か知らなくても気軽に近づいてはいけない存在だと、本能的に察した。気を放つことは”ヴェルデ・シエロ”にとって「気を緩めている」場合と「警戒している」場合とに別れるが、この時少佐は気を緩めていた。周囲に彼女の敵となりうる存在が何もなかった。
 デランテロ・オクタカスからロカ・ブランカ迄どれだけ時間がかかるのか見当がつかなかった。幸いシエスタと言う習慣があるセルバ共和国では、店がどんなに混み合って席順を待つ人が外で並んでいようが平気で店に長居出来る。そしてこの時、ロカ・ブランカの宿屋の食堂はガラガラだった。地元の人間が数人カウンター席で食事の後のお喋りに興じているだけだったので、少佐もコーヒーを注文して窓から海を眺めてぼんやり座っていた。
 沖にある白い岩が町の名前の由来だ。その岩に打ち寄せる波頭を見るともなしに眺めていると、宿屋の外で軍用ジープのエンジン音が近づいて来て停車した。
 少佐は顔を戸口に向けた。開放されたままのドアの向こうから1人の長身の若者がやって来た。大統領警護隊の制服を着ていたので、食堂内の人々の間に一挙に緊張が走った。その隊員の顔を見て、ケツァル少佐は立ち上がった。若者が彼女の前に来て、気をつけして敬礼した。

「遊撃班ステファン大尉、デルガド少尉、只今到着しました。」
「ご苦労。」

 少佐も敬礼を返し、店主に紙幣を渡すと釣りを受け取らずにデルガド少尉と共に外へ出た。ジープの外にステファン大尉が立っていた。デルガド少尉が彼と同行した理由を彼女は漠然と察していた、デルガド少尉はロカ・ブランカより南のプンタ・マナ出身だ。このハイウェイ周辺の地理や裏道に詳しかった。恐らく彼が進んで運転手を買って出たのだろう。
 ステファン大尉は少佐に敬礼すると、ジープの後部へ顎を振った。

「荷物はあちらです。」

 教えられなくても、少佐にもわかった。ジープの後部から黒ずんだ煙が立ち上っている様な感じがした。ステファンが宿に入って来なかったのは、荷物から離れたくなかったからだ。目を離すと危険な存在だと彼は認識していた。
 少佐が”心話”を求めると、ステファン大尉はカブラロカ渓谷で起きた殺人事件や森の中で部下達が見つけた少年、飛行場に現れた憑き物付きの若者の話を伝えた。

「すると、その憑いていた物を移した木偶を貴方は今運んでいるのですね?」
「スィ。私の力では浄化出来ません。上官にお頼みするつもりでした。」
「セプルベダ少佐が浄化出来るレベルではありますが、”名を秘めた女の人”がそれを首都に持ち込むことを拒んでいます。」

 少佐は悪い気が立ち昇る様を嫌そうに眺めた。デルガド少尉は沈黙していた。純血種の彼にも見えているのだが、指導師の修行をしていないので、憑かれるのを防ぐことは出来ても祓うことは出来ない。恐らくステファン大尉と2人だけの道中、背後にあんな悪霊を積んでいては気持ちの良いドライブではなかったろう。

「力は大きくありませんが、汚れの程度が酷いです。新しい汚れの下に古い汚れが山積みされている感じです。きっと古い墓か何かに手を加えてしまい、封じ込められていた悪霊を出してしまったのでしょう。」

 ケツァル少佐は周囲を見回し、それから海岸へ車を出すよう命じた。
 ビーチは静かだった。元々地元民しか来ない海水浴場だ。平日に泳ぐ人は少なかったし、その日は少し波が高かった。
 3人の大統領警護隊隊員は砂浜に打ち上げられていた乾いた流木などを拾い集めた。それを砂の上に積み上げ、問題の木偶を布に包んだまま木の上に置いた。3人で取り囲み、少佐は言った。

「聖なる光を頭に思い浮かべ、木偶を見つめなさい。ステファンは出せるだけの結界能力を使うこと。デルガドは攻撃だけを考えなさい。」

 少佐が火種を作り、積み上げた枯れ木の山の下に入れた。暫く燻ってから、火が上がった。ステファンとデルガドは命じられた能力をマックスで出した。もしこの場面を目撃した”ティエラ”がいたら、彼等が光の筒の中に取り込まれた様に見えただろう。
 ステファンが築くグラダ族の結界の中で、デルガドの爆裂波が木偶に送り込まれた。布に包まれた木偶から黒い煙の塊の様なものが浮き上がった。少佐がそれに向けて浄化の呪文を唱えながら爆裂波をぶつけた。
 ドンっと鈍い音が響いた。木端と砂が四方八方に飛び散った。一瞬太陽の様に眩しい光を発し、木偶は消えた。
 ケツァル少佐、ステファン大尉、そしてデルガド少尉は砂の上に空いた浅い穴を眺めた。焦げた木片が散らばっていた。集めた枯れ木が全て一瞬で燃え尽きたのだ。

「質問してよろしいですか?」

とデルガドが口を開いた。少佐が「スィ」と答えた。少尉が質問した。

「あれは何だったんですか?」

 当然の質問だった。少佐はステファンを見た。

「カブラロカ遺跡の近くで事件が発生したと言いましたね?」
「スィ。」
「カブラロカ遺跡はまだ調査が始まったばかりですが、”ティエラ”の遺跡です。ハイメ・ンゲマ准教授が発掘隊の指揮をしています。」
「警護指揮官はアスルですね?」
「スィ。この際アスルは関係ありません。ンゲマが何を遺跡に求めているか知っていますか?」
「ノ」
「サラです。」

 サラは古代の裁判所だ。オクタカス遺跡はサラで裁判を行うために囚人を収監したり、裁判関係の役人が住んでいた遺跡だと考えられている。カブラロカも規模が小さいだけで、同じ様な場所だったのだろうとンゲマは推測しているのだ。

「”風の刃の審判”で有罪が決まった人間は大概処刑されました。処刑されなくても、岩を落として怪我をする程度で罪の重さを測ったのですから、有罪者はほぼ全員死んだことでしょう。その死骸を何処かに埋葬したのだとしたら、そこを掘った者に悪霊が取り憑く恐れがあります。」
「殺害された農夫の家族は、その墓を知らずに開墾したと?」

 ステファンが推量を述べると、少佐は頷いた。

「恐らく、知らずに何か傷つけるか、壊すかしたのでしょう。そして若い息子に取り憑いた。私は先刻若い男の気配を一瞬感じました。犠牲者の取り憑かれた息子は、悪霊となった罪人と年齢が近かったのだと思います。」

 デルガドが身震いした。

「そんな墓がまだあの森の中に残っているのではありませんか?」

 少佐は頷いた。そしてンゲマ准教授と学生達の無事を案じた。


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