2022/05/14

第7部 南端の家     11

  格納庫の管理人の1人がラジオから仕入れた情報で、殺人事件があったカブラロカ渓谷の民家の、行方不明になっている子供達の名前は、兄がアベル・トロイ、弟がエステバン・トロイだとわかった。ビダル・バスコ少尉がエステバンと呼びかけると、初めて少年は反応した。涙を流し、泣き出した。オクタカス地方の方言を話せる管理人が話しかけ、エステバン少年は自宅で起きたことをポツリポツリと話し始めた。
 彼が片道3時間の道のりを歩いて学校から帰宅すると、家の前庭で祖父が死んでいたこと。家に駆け込むと、母親と父親も血まみれで倒れていたこと。
 それだけを聞き取るのに10分も要した。少年の記憶が多少混乱していたのと、難しい語彙が上手く使えなかったからだ。管理人が質問者であるステファン大尉とビダルに標準語に通訳し直したのも、手間がかかった原因だった。
 両親が死んだことをエステバンが理解出来ていることが、大人達に彼を痛ましく感じさせた。

「誰が君のパパとママから命を奪ったのかな?」

 管理人が可能な限り穏やかな表現を使って質問した。殺人者を目撃したのか、と訊きたいのだ。
 エステバンは暫く黙っていた。床を見つめ、唇を噛み締めていた。犯人を知らないのではなく、知っているのだ、とステファンは思った。だが言いたくない。言わなければと言う気持ちと言いたくない気持ちが少年の幼い心の中で闘っている、そんな表情だった。だから、彼は想像した犯人を言ってみた。

「アベルがパパとママを死なせたのかな?」

 エステバンは再び泣き出した。物悲しい声を出して、悲痛な表情で泣いた。ビダルは彼を抱き締めてやり、上官を見た。ステファン大尉は背後で控えていたロノイ大尉とアクサ大尉を振り返った。ロノイが囁いた。

「憲兵隊に通報しよう。アベル・トロイを親殺しの罪で手配するべきだ。」
「だがこの少年は兄が親を殺すところを見た訳ではない。」

とアクサが待ったをかけた。

「重要参考人として手配させるべきだ。」

とステファンも意見を述べた。

「少なくとも、アベルを探し出して保護なり拘束なりしなければならない。真犯人が誰かは不明だが、少年の確保が先決だ。」

 ビダルは黙って上官達の話し合いを聞いていた。彼の腕の中で少年は少しずつ落ち着きを取り戻してきた感じだった。
 昔、親に叱られて泣く弟をこうやって抱き締めた・・・とビダルは思った。ビトは彼とそっくりの双子だったが、性格はビトの方がヤンチャだった。優等生のビダルは、奔放な弟を時に羨ましく、時に疎ましく感じた。だが、この世の誰よりも愛していた。彼はエステバンの背中を優しく撫でた。
 何かの間違いだ。お前の兄ちゃんは何かのトラブルに巻き込まれたんだ。お前の両親の死に関わっちゃいない。
 そう言ってやりたかった。
 アクサ大尉が携帯を取り出して憲兵隊に電話をかける声が聞こえた。
 格納庫内は静かになっていた。大統領警護隊の隊員達はビダル・バスコ少尉が抱き締めている子供を眺め、憲兵隊と話をしている上官の声を聞いていた。
 ステファン大尉が、ふと格納庫の壁へ顔を向けた。少し遅れて遊撃班の隊員達も同じ方向へ注意を向けた。警備班の隊員の中にも、銃を掴んで立ち上がりかけた者がいた。
 ”ヴェルデ・シエロ”の野性の勘だ。近くではないが、遠くとも言えない距離に、何か嫌な気配を感じ取った。ビダル・バスコは少年を守らねばと、エステバンを包み込む様な体制を取った。軍人ではない管理人達は感じなかった様子だったが、隊員達のほぼ一斉の緊張した様子に、ただならぬものを感じたのだろう、3人固まってビダルのそばに寄って来た。分散すると、”ヴェルデ・シエロ”達の守護に負担をかけると知っていたからだ。
 ステファン大尉から強い気が発せられるのをビダルは感じた。ステファンはミックスなので結界を張るのが得意ではない。その代わり強烈な破壊力を持つ爆裂波を出せる。その力を少しだけ放っているのだが、並の威力ではないので他の隊員達は気負い負けしそうになった。ステファン大尉は、格納庫に近づいて来た「嫌な気配」を威嚇したのだ。それ以上近づくとただでは済まないぞ、と。
 不意に「嫌な気配」が消えた。警備班第7班の隊員達が格納庫の外へ走り出て行った。

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第11部  紅い水晶     19

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