2022/06/12

第7部 取り残された者      6

  大統領府の敷地内にある大統領警護隊の建物は、一見すると大統領官邸より小さく見える。しかし裏に回れば広い訓練施設が併設されており、グラウンドでは毎日兵士達がランニングをしたり障害物レースをして訓練に励んでいるのが見られる。そして市民は誰も知らないが、それらの施設の地下には数層になった居住施設やピラミッドに繋がる神殿がある。
 大統領警護隊本部の正門からテオの車は施設内に乗り入れた。初めてだ。門衛を務める兵士は敬礼して通してくれたが、恐らくテオにではなく助手席のステファン大尉に敬礼したのだ。大尉は規定通り緑の鳥の徽章を提示し、テオも大学のI Dカードと運転免許証を見せた。民間人が何故通るのか門衛は理由を知らないだろうが、ステファン大尉が一緒だったので、無言で通過許可を出した。
 車は来客用のスペースに駐車するよう大尉が指示した。そこには1台乗用車が駐車しており、テオはシーロ・ロペス少佐の車だと判別した。ロペス少佐は大統領警護隊の隊員だが、普段は外務省で働いているので、来客スペースを使ったのだろう、と思った。

「どこに連れて行かれるんだい?」

と尋ねると、ステファン大尉はやっと答えてくれた。

「司令部の来客用応対室です。」

 司令部の建物は特に「司令部」と看板が出ている訳でなく、ただ入り口に兵士が立っていた。門衛と同じだ。彼はステファン大尉にもテオにも身分証の提示を求めず、敬礼して2人を通した。廊下は明るく、低い位置にある窓から夕陽が差し込んでいた。入り口から入ってすぐの扉の前にステファン大尉は立つと、ドアをノックした。「入れ」と声が聞こえ、彼はドアを少し開くと、中の人物に声をかけた。

「ドクトル・アルスト・ゴンザレスをお連れしました。」

 そしてテオに入れと手で合図した。テオがドアの中に入ると、彼は入らずにドアを閉じた。
 テオは室内をパッと見て、普通の応接室だな、と感想を抱いた。壁に大統領警護隊の華々しいパレードの様子や訓練披露の写真が飾られ、過去の功績で隊に贈られた勲章やトロフィーが棚の上に並べられていた。別の壁には額入りの小さな写真がずらりと貼られていたが、それらは隊員の肖像写真で、どうやら在任中に殉職した者達と思われた。テオは思わずそれらの写真に向かって右手を左胸に当て、敬意を表するポーズを取った。
 軽い咳払いが聞こえ、彼は我に返った。部屋の中央に応接室の家具にしては実用的だが決して安物ではないテーブルと椅子があり、そこに軍服を着た初老の男性とスーツ姿の男性、スーツ姿の女性が1人ずつ座っていた。長方形のテーブルだが、その左半分に3人はそれぞれの辺に位置を占め、軍服の男性ではなくスーツ姿の女性が短い辺の上座に座っているのだった。スーツ姿の男性はテオがよく知っている男だった。彼はテオが入って来た時に立ち上がったのだ。テオが室内の様子に見惚れていたので、咳払いをして注意を自分達の方へ向けた。
 「失礼」とテオは言った。シーロ・ロペス少佐が己の隣の椅子を彼に勧め、それからテオが座ってから残りの2人を紹介した。女性を手で指し、「外務省のアビガイル・ピンソラス事務次官」と言った。テオが挨拶すると、ピンソラスは微かに笑って「よろしく」と挨拶を返した。彼女は白人に見えた。ロペス少佐は軍服の男性を指して、「大統領警護隊副司令官トーコ中佐」と彼自身の上官を紹介した。テオは何度もトーコ中佐の名を聞いたことがあったが、実物に会うのは初めてだったので、ちょっと緊張を覚えた。純血種だが、部族ハーフだと聞いたことがあったので、どんな遺伝子構成になるのだろうと思ってしまった。トーコ中佐はテオの挨拶に優しい眼差しで頷いた。

「仕事の後で呼び立ててしまい、申し訳ない。」

と彼はよく通るバリトンで言った。そしてピンソラス事務次官に向かって頷いた。
 ピンソラスが書類を数枚テーブルの上に出した。その内の1枚に印刷されている顔写真を見て、テオはドキリとした。セルバターナと仮名を付けた吹き矢の男だ。彼の視線を感じて、彼女が微笑んだ。

「この男性の名前はペドロ・コボス、隣国の国境近くにあるハエノキ村の住民でした。畑を耕して家族を養っていましたが、時々森で猟もしていたそうです。こちらでの調査では、それ以上のことは分かりませんでした。」

 ロペス少佐の方を向いたので、少佐が話し始めた。

「ハエノキ村は古くからある農民の村で、植民地時代前から人が住んでいました。恐らく、一族の子孫だろうと推測されますが、かなり血は薄いでしょう。しかし中には濃い者もいるかも知れない。いたとしても、己の血とセルバとの関係を考えたりしないでしょう。」

 彼は隣国の地図をピンソラスの書類の中から抜き出し、トーコ中佐とテオに見せた。

「隣の人口の99パーセントはメスティーソです。我が国のメスティーソより白人の血の割合が大きい。」

 彼がピンソラスに「失礼」と断ったので、テオは事務次官も”ヴェルデ・シエロ”の血を引く人間だと知った。ピンソラスは微かに苦笑し、テオに向かって言った。

「私も”シエロ”です。外観は白人ですし、能力もそんなに強くありませんが、一族が使える力は取り敢えず一通り使えます。それでも”出来損ない”の呼び名はもらってしまいますけれどね。」
「誰も貴女を”出来損ない”などと考えませんぞ。」

とトーコ中佐が優しく言った。ピンソラスは微笑し、「グラシャス」と言った。そしてロペス少佐に続きを促した。

「貴方の話の腰を折ってしまいました。続きをお願いします。」


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