2022/06/20

第7部 取り残された者      10

  隣国への足は政府が用意したバスだった。宿舎も兼ねるので、大型の車両だ。そこにテオ、アーロン・カタラーニ、フィデル・ケサダ教授、アンドレ・ギャラガ少尉、ピンソラス事務次官の部下のアリエル・ボッシ事務官、そして雑用も行うコックのダニエル・パストル、そして運転手のドミンゴ・イゲラスの7人が乗って出発した。
 バスの後ろ半分をキャンプ道具が占めており、冷蔵庫も2台あった。DNAサンプルを保管するためのものと食糧を保存するものだ。発電機、1週間分の食糧、寝袋、調理器具、その他諸々・・・。
 護衛が大統領警護隊1人だけだと思ったら、ギャラガがテオに囁いた。

「ボッシ事務官は陸軍出身です。確か、軍曹まで行って、退役された筈です。」

 確かにボッシ事務官はお役人にしては体格が立派だった。軍隊から外務省への転身はちょっとびっくりだが、軍服ではなく白い綿シャツから出ている腕は逞しかった。外務省職員のI Dも持っていた。

「それから、コックのパストルは”シエロ”です。」

とギャラガが小声で更に囁いた。

「恐らく、外務省内の”シエロ”の職員達からの繋がりで雇われたのだと思います。」
「いざと言う時の戦力って意味かな?」
「恐らくね。運転手は”ティエラ”ですが、両国間を頻繁に行き来する路線バスの運転も経験しているそうですから、道を知っているんです。」

 南の隣国とセルバ共和国の東海岸はミーヤの国境検問所を挟んでいるが、一つの経済地域になっていた。両国民は物資の取引を日常的に行い、買い物や教育の交流も盛んだ。セルバ側のミーヤの住民と隣国のスダミーヤの住民は互いに「外国人」と言う意識がないのかも知れない。スダミーヤにも”シエロ”の末裔がいたとしてもおかしくないのだ。しかし今回セルバ政府はハエノキ村の住民だけを警戒していた。セルバとの交流が少ない故に、却って警戒対象となっているのだろう。スダミーヤにいるかも知れない”シエロ”の支流は、いつでも本流と接触出来るのだから。
 バスの中で、テオの周囲にカタラーニとギャラガが集まる形で座っていた。コックのダニエル・パストルは最後尾に座って、時々積荷のチェックをしていた。彼が積み込む食材などを選んだに違いないが、道具が揃っているのか不安らしい。テオは彼が小声で「目的地の水はどんな水かなぁ」と呟くのを聞いた。
 ケサダ教授は静かだった。ずっと目を閉じており、一度アリエル・ボッシが飲み物を勧めた時に起きただけだった。ギャラガがそっとテオに教えてくれた。

「子供達の世話から解放されてリラックスされているんですよ。」

 テオは笑いそうになった。ケサダ教授は4人の娘を持つ父親だ。娘達はどの子も活発で、しかも強力な超能力を持っている。制御を教えながら子守をするのは重労働だろう。しかも・・・ボッシ事務官が教授にこんなことを言っていた。

「5人目のお子さんを授かられたそうですね?」

 それに対する教授の返事は短いものだった。

「まだ3ヶ月ですから。」

 コディア・シメネスは妊娠したのだ。テオはドキリとした。子供は男だろうか女だろうか。女の子だったら問題ないが、男の子だと成長してナワルを長老に披露する時に大変な騒ぎになるだろうことが目に見えていた。ケサダ教授は純血種のグラダ族だ。その息子は絶対に黒いジャガーに変身する。教授の出生の秘密が一族に明かされてしまうのだ。だから。
 ケサダ教授は素直に妻の妊娠を喜べないのだ。恐らく、今迄もずっとそうだったのだ。子供を授かる幸福と、己の正体がバレるかも知れない恐怖を、彼はずっと味わい続けてきたのだ。それなら子作りを止めれば良いのに、とテオは思い、しかし夫婦の愛を止めることも出来ないのだとも思った。
 ボッシ事務官は”ティエラ”だから、純粋に古代に行われた二つの国の民族交流の確認をしに行くつもりだ。彼の呑気な様子が、緊張を和らげてくれることが、有り難かった。
 バスはボッシが提出した書類が検問所でスムーズに通り、隣国に入った。


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