2022/06/09

第7部 取り残された者      4

  グラダ・シティに帰ると、テオはロホが憲兵隊に引き渡し前に死体から採取した血液が染み込んだ衣服の切れ端を、自宅のD N A分析装置にかけた。ロホはこう言う細かいところに配慮出来る男だ。吹き矢を使った男が普通の人間なのか、それとも大昔にセルバから分派した”ヴェルデ・シエロ”の末裔なのか、テオは調べたかった。
 ケツァル少佐は彼に早く休むようにと言い、彼女自身は出かけてしまった。恐らく分派に関する知識を仕入れに誰か長老のところへ行ったのだろう。
 デランテロ・オクタカスの診療所ではクラーレの解毒剤を注射してもらった。森の中で死んでいても不思議でなかった状況だが、”ヴェルデ・シエロ”のお陰で助かった。医師は彼が気絶していたにも関わらず何故助かったのか、尋ねなかった。大統領警護隊が一緒にいた。その事実さえあれば、セルバ人は余計な質問をしないのだ。
 無理をしないようにと言われ、研究室から出て何もないリビングでぼーっとしていると、隣の居住区画から家政婦のカーラが軽食を運んで来てくれた。彼女は滅多にテオがいる第二区画に来ないので、少し珍しそうに室内を眺めた。

「何もないんですね?」
「ここは余計な物を置かないだけだよ。隣の部屋はゴチャゴチャと機械を入れてある。少佐すら入らない。ぶつかって機械を壊すと大変だと思っているらしい。」

 実際、高価な機械だから、壊れると大変だ。しかし少佐が物にぶつかるなんて想像出来なかった。カーラも早々に退散して行った。女主人の恋人と2人きりで一つの部屋に長居することを警戒したのだ。テオは彼女に子供がいることを知っているが、結婚しているのかどうか聞いたことがなかった。彼女はプライバシーを喋らない。彼も聞かなかった。
 軽食を腹に入れ、コーヒーを飲んで、食器を第二区画のキッチンで洗ってから返しに行った。トレイを受け取ったカーラが言った。

「壁をぶち抜いて通路を作れば便利ですのにね。」

 テオは苦笑した。

「だけど少佐はこのビルの所有者じゃないからな。そんなことをしたら彼女も俺も追い出される。」
「そうなったら、新しい家でも雇って下さいね。」

 2人で笑って、それからテオは研究室に戻った。分析が終了する迄、森であったことを報告書にまとめてみた。大学に提出する為の土壌分析結果も必要だ。土は大学の地質学教室に託してあった。そもそも何の為の土壌調査なのか理由がないので、成分を分析してもらうだけだ。赤い蟻塚の赤土と、普通の蟻塚の土の分析だった。悪霊がいるだけで土の成分が変化するのだろうか。
 大学から送られてくるデータ内容を表にまとめたり、文章にしたりしていると眠たくなってきた。遺伝子と関係ない研究は、彼にとって退屈なことでしかなかった。
 携帯の呼び出し音が鳴った。画面を見ると、アリアナ・オズボーンからだった。テオと同じ施設で生まれ育った、彼の唯一の「親族」だ。電話に出て、「ヤァ」と声をかけると、彼女が画面で満面の笑みを浮かべた。

「ハロー、テオ。元気そうね!」
「元気さ。君も元気そうだね。」

 テオはまだクラーレの影響が少し残って気怠かったが、彼女には伝えたくなかった。アリアナ・オズボーンはグラダ大学医学部病院の小児科病棟で働いている。職場はテオに近いが最近は滅多に出会わなかった。彼女は忙しいし、オフの時は愛する夫シーロ・ロペス少佐と仲睦まじく過ごしているのでテオは邪魔をしたくなかった。だから余計な心配を彼女にかけたくなかったのだ。しかし、彼女は言った。

「ケツァル少佐から聞いたわ。クラーレを塗った毒針の吹き矢で射られたのですって?」
「ああ・・・スィ・・・」
「もし気分が悪くなったら、いつでも私に連絡して頂戴。」

 ケツァル少佐が気を遣ってアリアナに事件のことを喋ったのだ。女性同士の連携が強いので、男達はこんな場合打つ手がない。

「大丈夫だ。少しかったるいだけだよ。今日は一日家にいる。」
「それなら良いけど・・・」

 気のせいか、少し顔がふっくらして見えるアリアナが微笑した。

「少佐は君に電話したのかい?」
「ノ。彼女はシーロに密入国者の状況を訊きに外務省へ行ったのよ。シーロが事件を知って、私に教えてくれて、私はびっくりして彼女に電話して・・・」
「わかった、わかった。君達の連絡網は理解した。」
「悪霊だなんて、危ないものに近づかないで。貴方はただの人間なんだから・・・」

 電話では”シエロ”とか”ティエラ”とか、そう言う単語は極力使わないことにしていた。誰に傍聴されるかわからない。テオは言った。

「近づかないよ。俺は呪術師じゃないんだから。科学者だぞ。」

 アリアナが笑い、「じゃ、またね」と言い、投げキスをして画面を閉じた。
 テオは考えた。シーロ・ロペス少佐が関わってきたと言うことは、今回の件は大統領警護隊の司令部にも報告があがっているな、と。

 
 

0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     18

  ディエゴ・トーレスの顔は蒼白で生気がなかった。ケツァル少佐とロホは暫く彼の手から転がり落ちた紅い水晶のような物を見ていたが、やがてどちらが先ともなく我に帰った。少佐がギャラガを呼んだ。アンドレ・ギャラガ少尉が階段を駆け上がって来た。 「アンドレ、階下に誰かいましたか?」 「ノ...