2022/08/24

第8部 探索      4

 テオもデネロスも学芸員が耳寄りな情報を持っているとは期待していなかった。博物館は混雑する場所ではないが、週末は海外からの観光客も多い。職員達はその資格や肩書きに関わらず客の応対に忙しく、一人一人の客の顔を覚えていないだろう。 博物館に一番近いタコスの店で簡単に昼食を済ませ、コーヒーを飲んでから、テオとデネロスは博物館に戻った。
 マリア・アバスカルは2人が奥のスペースへ辿り着く前に彼等に追いついた。手にタブレットを持っており、休憩スペースのソファへ2人を誘導した。休憩スペースは広くて、近代のセルバ人画家が描いた遺跡や神話をモチーフにした幻想的な油絵が4、5点3方の壁にかけられた四角い部屋だった。その真ん中に背もたれのないソファが置かれているので、他の人が近づくとすぐ知ることが出来る。

「呪術のどう言うことをお知りになりたいのでしょうか?」

 アバスカルの質問に、デネロスが答えた。

「呪術の内容ではなく、呪術の使い方を調べに来た人がここ5、6年の間でいなかったか、覚えていらっしゃいますか?」
「呪術の使い方?」

 アバスカルが目を見張った。デネロスが説明した。

「つまり、どんな神様や精霊に、どんな方法で願い事を叶えてもらうか、その儀式の方法等です。」
「・・・」

 テオが周りくどい言い方がまどろっこしいので、ズバリ言った。

「誰かを呪殺したい場合の方法とか・・・」
「呪殺ですか・・・」

 アバスカルは口元に手を当てた。驚いた様子だが、ショックを受けたと言う感じではなかった。

「ええ、中南米の呪いの効果を期待して、そう言う不穏な情報を調べて来る外国人がたまにいますね・・・」

 彼女はタブレットを操作し始めた。面会者のリストかと思ったらそうではなく、彼女個人の日誌の様な感じだった。ブログ形式で日誌を毎日書いているのだ。彼女は検索ワードに「呪殺」と入れた。しかし出てきたのは、来館者との会話を描いた日誌で、若者達と冗談混じりで話をした様子ばかりだった。

「民間信仰で呪いを研究されているのは、グラダ大学のウリベ教授ですけど・・・」

とアバスカルは言い訳するように呟いた。

「でも私は教授にそんな遊び半分の観光客を紹介したことはありません。」
「勿論、貴女が軽薄な人々に真面目に取り合うなんて思っていません。」

 テオはデネロスを見た。彼女に主導権を戻したかったが、彼女はテオのペースに任せることにしたのか、黙って見返しただけだった。それで彼は更に突っ込んで質問した。

「アーバル・スァットと言う石の神像をご存じですか?」
「アーバル・スァット?」
「ピソム・カッカァと言う遺跡で祀られているネズミ・・・いや、ジャガーの神像です。」

 アバスカルはちょっと首を傾げ、それから思い当たることがあったのか、「ああ」と声を立てた。

「一度盗掘されて、それから大統領警護隊が取り戻した神像ですね?」
「スィ。その神像について、博物館では・・・いえ、貴女はどんな情報をご存じですか?」
「ピソム・カッカァはオスタカン族が7世紀から8世紀頃に築いた都市で、現在はその都市の10分の1だけが遺跡として現存しています。遺跡内には2つだけ神殿が残っており、ジャガー神アーバル・スァットが祀られているのは、西の神殿と呼ばれている場所です。あの神様はジャガーですから、雨を呼ぶ神様です。他人を呪う為の神様ではありません。」
「でも、神様は扱い方を間違えると、お怒りになりますよね?」
「スィ、とても恐ろしい祟りがあります。」

 そこまで言ってから、アバスカルは何かを思い出し、ブログを検索した。

「今でも神様へ祈りを捧げたら願いが叶うのかと訊いてきた人がいました。」

 彼女は古い記事を探し当てた。

「地方の修道院に入っている女性で、身内が重い病に臥せっているので、古代の呪術でも何でも良いから救いの手を差し伸べたいと言う人が訪ねて来ました。」
「修道女ですか?」

 デネロスが意外そうに言った。

「修道女なら、キリストや聖母に救いを祈るでしょうに・・・」
「奇跡を期待しても空い時はあります。」

 アバスカルが寂しい笑みを浮かべた。

「それにその女性は先住民でした。キリスト教の信仰より民族が古代から信じてきたことの方が彼女には重たかったのでしょうね。」
「彼女の質問に貴女は何と答えたのですか?」

 アバスカルはちょっと躊躇った。そしてデネロスを見た。

「”ヴェルデ・シエロ”が関わった神様なら、何らかの祈りの効果を期待出来るかも知れませんと・・・」

 アーバル・スァットは雨の神様で、病気平癒の神様ではない。デネロスが尋ねた。

「どこかの神様を紹介なさったのですか?」

 アバスカルが苦笑した。

「そんな無責任なことはしていません。私はただ現在観光客が近づける遺跡を紹介するパンフレットを彼女に渡し、それらの場所に置かれている神像や神の彫刻について一つ一つ簡単に説明しただけです。そして病気平癒は民間信仰のシャーマンの方が詳しいでしょうと言いました。」


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...